本文
<ローマの信徒への手紙1章2節>
この福音は、神が聖書の中で預言者を通してあらかじめ約束されたものであり、
<コヘレトの言葉3章17節>
私は心の中で言った。「神は正しき者も悪しき者も裁かれる。天の下では、すべての出来事にすべての業に時がある。」(聖書協会共同訳)
人間は神様の心と行ないが分からず、少し感じるだけだから、心配し、憂え、苦痛も感じます。
神様の心情を知るためには、神様が遣わした人を絶対に信じ、その真理を行ない、霊でいつも行なわなければなりません。
また、神様と共に行わなければなりません。
そうしてこそ、神様の心情が分かって、感じ、喜んで、心情、愛、御心が一体になって、一緒に生きていきます。
そして、神様と共に行なうためには、心と行ないを開発して天国のようにつくって、自分を三位の対象につくらなければなりません。
神様は過ぎた日にも個人、家庭、民族が行なったとおりに、与えるべきものをすべて与え、すべきことを行なってこられたし、今もそうです。
神様は私たちが祈ったことを一点一画も素通りすることなく、時になれば成してくださるから、毎日落胆せずに祈り、熱心に行ない、希望で生きるべきです。
耐えるべきことは耐えてこそ、神様も私たちも労苦が無駄にならず、今まで種を蒔いて実を結んだものを収穫するようになります。
神様が最後まで行なわれるのを見なければなりません。
神様はすべて御心があってさまざまに絶対に行なうことを悟らなければなりません。
必ず行なわれる神様であることを悟るみんなに、三位とイエス様の平安を祈ります。