本文
<エフェソの信徒への手紙/1章 18節>
心の目が照らされ、神の招きによる希望がどのようなものか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか(聖書協会共同訳)
環境も存在物も人も、普通に見たら普通に見え、貴重に見たら貴重に見えます。
貴重に見てこそ、貴重なものを見つけ、行なって得ます。
人は認識の目を開くことができなければ、聞いた話どおりに認識し、誤解します。
サタンや悪なる者は自分が生きてきたやり方で、認識を間違え、悪く見て話します。
義人は神様、聖霊、主と共に完全な時代の御言葉を聞いて完全に認識して生きていきます。
私たちが聖書、自分自身、世の中のものを間違って認識して考えたら、希望の時を待っていても、無知によって不要な不安、心配、憂い、恐れ、絶望が起こります。
だから認識をよくすることです。
正しく認識したら瞬間で不安と心配がすべて消え去り、天国の心になります。
認識の目を開く恵みを受けて、聖霊様の感動を受けなければなりません。
認識を正しくしたら、希望の心が沸き上がり、神様の祝福をすべて受けて享受するようになります。
正しく認識し、感謝して、喜び、愛して行なうことを願います。