本文
<ヨハネによる福音書6:63>
命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
<コリントの信徒への手紙一2:13>
この賜物について語るにも、私たちは、人の知恵が教える言葉ではなく、霊が教える言葉を用います。つまり、霊によって霊のことを説明するのです。(聖書協会共同訳)
人間は心、考え、行ないがはっきりしていなければ、輝きが無く、生命力がありません。
心、考え、行いをはっきりさせなければなりません。
絶対神神様、聖霊、御子は霊の存在者だから、霊に関する御言葉を伝えてあげなければ、みんな永遠な世界に対して盲人です。
霊について無知なら、肉性ばかりが強くなって肉でばかり生きるから、その魂と霊が天国に行けず、肉に属した霊界に行きます。
霊に属して生きるためには、神霊な祈りをし、神霊な御言葉を聞いて専念して生きてのみ、霊が完成して完全な救いを得て、完全な黄金天国に行きます。
いい加減にしたら、絶対に自分の期待どおりになりません。
霊の御言葉を聞いて、自分の考えを捨て、初めから肉が神様の構想をもらって十分行なうべきです。
信仰も時代に従って次元を上げて成長しつつ、もっとたくさん行なわなければなりません。
霊的なことが分からなければ、神霊な神様、聖霊、イエス様と通じ合えず、対話ができません。
神霊であってこそ、霊の目を開いて、神様、聖霊様、イエス様を見て、対話もし、尋ねてみることもし、さまざまな霊と魂も見て、霊界にも行くようになります。
神様はただでは祝福をくださらないで、自分を義人につくり、神様が願われること、創造目的を成してはじめてくださいます。
だからただ神様の愛の対象になって、新婦になって生きる生です。
苦労しても命の道を希望で行かなければなりません。
神様、聖霊がいつも私たちと共になさるから、喜んで毎日行なうべきです。
真実に神様と聖霊と共に平安を祈ります。