本文
<ローマの信徒への手紙2章6~10節>
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。耐え忍んで善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠の命をお与えになり、利己心に駆られ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みがあり、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和があります。(聖書協会共同訳)
すべての存在物は、どこに、どのように、誰に使われるかが大事です。
ほかの目的に使われるなら、その時は元の存在物としてではなく、その使われるものと見なします。
使われているとおりにその存在物を呼び、接し、考え、喜んで生きなければなりません。
イエス様は悪によって迫害、苦痛を受けましたが、もっと行なって義を成し、十字架を背負ってみんなを生かしました。
ほかの人にとっては十字架は死刑の道具でしたが、イエス様にとっては全人類を救う道具として使われました。
私たちもこのように悪いものもよいものとして使わなければなりません。
ヨブはその時代の忍耐の信仰の表象者です。
財物と愛をすべて奪われても、真実に神様を愛したので、神様はヨブに再び物質の祝福を倍にしてくださり、死んだ息子娘よりもっと美しく貴重な人たちをくださいました。
いつの時代でも表象者をサタンや友人や対象たちが詰問します。
サタンは神様が歴史の御心を広げると悪人たちと悪を行なうのだということを悟って、いつも悪に打ち勝ち、神様、聖霊に絶対に仕えなければなりません。
神様が苦痛を与えるのではありません。
神様は患難と苦痛の中で私たちをご覧になり、打ち勝ったら、以前よりもっと祝福してくださいます。
条件対価、労苦の対価、労働の対価、神様の御心を成した対価です
各個人の使命者、家庭、民族などすべての対象どおりに条件を立てて、もらうのです。
みんな神様、聖霊、主を中心にしてもらいます。
もらっても貴重に価値あるものと分かって、最先端の知恵で、知識で一つ一つ使わなければなりません。