主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。
今回は、ライトな雰囲気でたくさんの話をしながらも一本芯の通った姿をチラッと垣間見せては、また煙に巻くように楽しく会話を進めていくメンバーの姿に迫ります。
File.014 松谷 譲さん(20代・社会人)
本当にいいと思うものを伝え、
深い幸せを感じられる人を生み出していきたい。
―三重県ご出身で、大学は南山大学に進学されました。教会に通うようになったきっかけをお聞きしていきますね。
はい。まず僕は、社長になりたいという思いがあって、経営学部へ進学しました。それも、人にポジティブな影響を与えられるようになりたいという思いがあったからです。でもいきなり総理大臣や大統領になるというのは難しい笑)。ならば社長になって、経営で失敗もしてホームレスになったとしても、その経験をもとにして知名度を上げてから政界へ…みたいなのもありかと笑)。
―それはいつ頃思っていたことで…?
高校生の時ですかね。まあ、とにかく何かしたい! って思っていたわけです。
―では、影響を与えられる人になって何かしたい! という思いをもっていた矢先に、同じ大学に通う先輩に出会うようになったんですね?
そうです。その先輩が、教会に通っていた人で。一緒にサッカーもしたんですが、そのサッカーにとても感動したのを覚えています。テーマを決めて自分たちの成長のためにサッカーをする、というものでした。僕の心にはこのサッカーがどストライクだったんですよ!
―サッカー経験者からするとそのようなサッカーは珍しかったということですか?
ですね。小学校、中学校とサッカーをやっていましたが、サッカーって勝つためにやるのが普通ですよね。でも、そういうサッカーではなかったのが新鮮でした。大学でもフットサルをやろうと思い、自分としては飲み会サークルや合コン目的みたいなサークルではなく、真面目にフットサルがしたくて探していましたが、なかなかなかった…。なので、やっと見つけた!ここだ!って。
―最初は、教会のメンバーでやっていたサッカーとは知らずに参加されたんですか?
はい。最初は知らなかったですね。自ら参加し続けたのは、純粋にテーマを決めて自分の成長のためにサッカーをするというコンセプトに感動しましたし、年齢を問わず一所懸命にサッカーをする姿や雰囲気がよかったからです。参加者全員が教会の人というわけでもなかったですしね。ちなみに、教会のメンバーと知っても、抵抗はなかったですよ。また、聖書の御言葉を学ぶようになってから、サッカーのテーマが聖書をもとに考えられたものだと知って「ああ、だから人生や生活に役立つものだったのだな」と納得でした。
―サッカーを通して徐々に、教会への興味など湧いていったイメージですか?
サッカーは御言葉の実践の場所という位置づけで、僕が聖書に興味を持ったのは、もともと大学で宗教論の授業があって、これが面白かったのがそもそものきっかけです。高校時代の生物の授業を通して、純粋に人間が生まれて存在している奇跡や神様という存在はいるんだろうなとは漠然と思っていたので。
―聖書や神様という存在にもともと抵抗はなかったんですね?
そうですね。抵抗よりもむしろ、聖書を学ぶようになって、より納得しかなかったです。聖書では、人間の霊魂の存在について教えてもらいましたが「そりゃあ、いなきゃおかしいよな」って感じました。そもそも、高校の時から仲間内で、僕らを操る存在みたいな、絶対的な存在とか、哲学的な話で盛り上がっていて。生きる意味みたいなことを考えていたわけです。どうしたらいつも幸せになれるのかな、みたいな。
―その答えが聖書にあったと。
究極的な話ですが笑)、まさにそうですよ。聖書を学ぶのは本当に楽しかったし、神様の働きかけもすごかったですからね。自分でお祈りもして叶うのも感じましたし、教会の人と一緒にお祈りもして、祈りを通して神様の働きをより感じるようにもなって、すげーって笑)。
―すばらしい若者ですね笑)
そうですかね笑)。高校生の時、働く大人たちの姿を町や電車で見かけたりする中で、くたくたな様子で疲れ果てているように見えて、幸せそうじゃないな、と感じていました。自分は幸せに働きたいし、他の人ももっと幸せというものに出合ってほしいと思っていました。でも、どうしたらよいかわからないから、まずは自分がポジティブに生きてから、それを他の人にも共有しようと思って社長になりたかったわけです。聖書を学ぶことは自分がポジティブになって、自分の人生にいいものだという確信がありました。
―教会に通うようになるきっかけの話をたくさんしていただきましたが、サッカーを通しての体験や聖書を学び、教会に通うようになったと。実際に通われて現在に至るまで、信仰には何が必要だと思いますか?
実践ですね。実践信仰が何より大きいと思います。頭でっかちになっていないか、アウトプットできているのか自分自身を常に振り返ります。僕が日々感謝しているのは、過去の自分自身も含め、口だけの人が多いと感じる中で、最後まで実践信仰の姿を見せてくれる牧師さんに出会えたことです。なので、自分も実践してこそ、という意識が常にあります。自分は口だけ達者だったのですが、最後までやるという精神を学べました。
―社会生活においてもそうですよね。あきらめずに最後までやった人が信頼を得ることが多いと思います。
ですよね。本当に。最初から何事も器用にこなせるタイプではありませんが、繰り返し実践する価値と大切さを教えてもらったので、現在の仕事や生活でも、その精神が活かされていると思います。
―現在は、社会人としてIT系の企業にも勤めながら副業で家庭教師もされているとお聞きしました。教育に興味を持たれたのはなぜですか?
本当にいいものを、本物を伝えたいという思いがあるのと、大学時代に教育の重要性について考えさせられたことがあって家庭教師をやるようになりました。1万人の浅いハッピーを作るよりも1人の深い偉大な人を生み出すことが大事なのではないかと思っています。
―最後に、三重県で生まれ育ち、名古屋で現在も生活されていますが、東海地域に向けて何か感じられることありますか?
東海地域の人はあまり外に出たがらないイメージがあるのですが、それも職場環境や住環境など余裕がある程度あって、居心地の良い地だからかなと思います。でも、大きな視野を持ち、向上心をもって外に出て高みを目指す各界の人たちがもっと東海地域から出てほしいなと思います!って、なんだか上から目線ですがっ笑)!!
―笑)!東海地域への大きな愛と期待を込めた貴重なお話をありがとうございました。 ライトに見えて実は深い松谷さんの魅力を感じる時間でした。