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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.25

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


今回ご紹介するメンバーは「基準を立てる」という言葉にとてもふさわしいと感じさせてくれました。やったことがないことでも、天のために成し遂げるその姿は、もともとの才能や能力ゆえもあるかと思いますが、根本は天への愛ゆえなんですよね。

File.025 久保山 正志さん(会社員・30代)

名前の通り、正しい志に沿って
生きてきたと思います。


―岐阜県ご出身で、名古屋大学・工学部に進学されたタイミングで聖書に出合うようになったとか。

はい。小・中・高と10年ほど野球をずっとやってきてやりきった感もあり、大学ではとにかく遊ぶぞ、と思っていた時でしたね。

―あら。遊びと聖書とはなんだかかけ離れているようにも思いますが。

そうですよね。とにかく遊ぼうとは思っていましたが、同時に当時、自分を猛反省することがありまして。愛だの恋だのとかよくわからないちゃらんぽらんな状態でお付き合いをしていた結果、結局別れることになり相手の方を傷つける形となってしまった。その罪悪感と、未熟な自分への猛反省から、自分を作らないといけない!と強く感じていた時でもあったんです。

―自分を作るには聖書ってことですね。

そうそう、大学で出会った先輩を通して自分をまずは成長させるべきだと教えてもらって。何でもいいから「自分を成長させたい」の一心でしたね。実は、聖書を学ぶ傍ら、別の自己啓発系の団体の人たちとも交流していたんです。成長できればよかったから。でも、学び始めて3カ月ぐらいの時に、聖書を一緒に学んでいた別の大学の子から、聖書を学び続けることへの警鐘みたいなアドバイス笑)をいただきまして…。つまり、やめたほうがいいのでは、ってことだったんですが。

―お!ではそこで考えてしまったわけですね。

いや、逆に聖書とは並行して交流していた団体へ通うのをやめました。聖書を学んでいた先輩たち、同級生たち、後輩たちの方が信頼できて好きだったからです。純粋に。並行して通っていたところでは、言っていることとやっていることはかみ合っていないのを感じたんですよね。だから、自分が実際に見たことや感じたことを信じようと思ったわけです。

―まっすぐですね。ではそこから本格的に聖書も学んでいった感じですかね?

そうですね。実際にはっきり学ぼうと思って学んでからは変化もありました。自分でいうのもなんですが、まあ、小さい頃から勉強もできるし、ドッチボールもできるし、みたいなタイプではあったんですが、自尊心が強かったかというとそうではなくて、飾っている自分、八方美人的な自分に対してコンプレックスがあって自信はなかった。また、犠牲にはなりたくないと思いながら、ここで犠牲になっておいたほうがよいだろう…みたいに人に合わせて生きてきたところがあって。そんな自分が聖書を学びながら、確実に変化しているのを実感し、自分を飾らなくなったところが大きな変化でした。自分という軸、意志が明確になった感じです。

―ほほう、久保山さんといえば何でも器用にできる方で、なんだかいけ好かない感じではありましたが(笑、すみません…)一方で人に合わせてしまう自分への葛藤があったんですね。

いけ好かない…笑)結婚する前までも完璧主義の自分に対して自暴自棄してしまうところも多々ありましたよ。自分をいかに許せるか、いかに愛せるかの戦いみたいな状況でした。でも、結婚を機にそれが一切なくなったんですよね。自暴自棄がなくなったし、一言で言うと愛を確信したことで変わりました。

―とても仲のよいご夫婦ですもんね! うらやましい限りですが、もちろんパートナーとの関係もおありになると思いますが、この愛の確信は「主との愛」ということですかね? 

そうですね、もちろんパートナーも子どもたちもとても大好きで愛していますが、自分を作るということにはまず、本当の愛を知るということがあると思います。結婚を機に自分のそれまでの人生を振り返ったときに、自分から主に向かう愛と主からの愛が本当に、心の底から真実に確信できた。そのことがやはり、よいパートナーに巡り合うことにつながったし、「洗練されたな、自分」と思うところですね。

―スマートな人になられて。

ええ笑)。なので、自分を振り返ってみた時に、たとえば礼拝や自分の霊を作ることにつながることに対してはより時間を割いてきたなと思います。まず、それありきで、もちろん肉体はこの世で生きていますから、社会生活もちゃんとする。でも、必要以上に社会生活に身を削らないできました。

―あ、最初に入られた会社で残業も多かったとお聞きしましたが、それも拒否して7年間定時を貫いたあたりですか笑)?

そうそう。もちろん、自分のやるべき仕事はちゃんとした上で、定時で帰宅できるよう努力はかなりしましたよ。残業ゼロ、飲み会も断って、社内の嫌味にも耐えてやってきましたが、後悔はしていません。それだけ、自分にとっては教会でやるべきことが楽しかったし、教会により多く投資したいというのは基本スタンスで今後も変わりません。結婚して、子どももできて家庭生活もありますが、教会生活とは両立させていますし、これからもそうしたいと思っています。信仰があるからこそ日常生活もちゃんとしたいですし、霊的にも肉的にも一生懸命にやっていきたいと思います。

―教会では、ご自身の信仰生活に加えて、教会の音響関係を一手に担うとともに、礼拝の奏楽(ドラム)も担当されていますよね。

大学では化学専攻で音響は触れたこともなかったんですが、先輩たちにも学びながら、次元を上げていくことも必要だったので独学で学び、教会全体の音響・配信環境を整えるとともに、教会主催の行事等の音響もある程度の次元の高さでできるようになりました。教会っておもしろいんですよ。教会の礼拝をよりよくしようという思いや、新しく教会に来る人をよりよく迎えようという思いがあると、いろいろ挑戦させてもらっていろんなことができるようになるんですから。

―なるほど! 主人意識という言葉がありますが、自分が主人だと思って意識を向けた分野が自分でも気づかなかった得意分野になっていることってありますよね。神様が御心通りに、個性を活かしてくださって使ってくださる。

そうですね。まさに活かされていると思います。だから、霊のために時間を使うのはとても喜びだし、信仰生活、社会&家庭生活の両立において、どちらかを犠牲にするというのも違うと思っています。どちらも全力でやるにはどうしたらやっていけるかを常に考えていますよ。「志」は、霊の思いとも言われますよね。だから、自分は名前の通り、正しい霊の思いに沿って生きてきたなと思っています。

―貴重なお話をありがとうございました! 天に向かってまっすぐ、基準を落とさずに教会への投資を惜しむことのない姿で、さらなるご活躍を期待しています!! 

礼拝の奏楽でドラムをやるようになったが、これも独学でマスター。礼拝の基準を下げないように、常に練習し努力は惜しまないという。
教会では礼拝や行事などを支える裏方の要として活躍中。音響・配信関係のレベルも日々研究しながら上げ続けている。
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