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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.27

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


今回は、教会で牧会者のサポートを行い、教会活動を中心的に担うメンバーが登場します。見た目はひよこ系やなんだか丸い感じのキャラクターに似ていると言われるも、霊肉の賢さを隠しきれていないところがなんともいえない魅力を醸し出す、生粋の名古屋人です。

File.027 恵実奈さん(30代)

神様の夢が、自分の夢になりました。


―聖書との出合いは同じ高校の先輩がきっかけの一つとなったとか。

そうですね。高校時代にとてもお世話になった学校の先生をよく知る先輩がきっかけとなりました。

―共通の知り合いがいると近く感じられますね。 

そうですよね。その先輩は高校時代には接点がなかったのですが、名古屋大学入学を機に知り合って、意気投合しました。結果的に、その先輩を通して聖書を学ぶきっかけを得たので、人との出会いには不思議な縁を感じます。

―なるほど。人との縁みたいなものは昔から大事にされる方でしたか?

うーん。もちろん、縁というか人との出会いは大切に思っています。ですが、実はもともと人に興味や関心がないタイプでした…。人がこうするから、私もこうするみたいなことは一切なくて。もちろん、小学校、中学校、高校とその時々で仲の良い友人はいましたし、群れることも嫌いではないのですが、ずっと誰かと一緒というのはなく、人の考えの影響を受けるということは全くなかったんです。親や兄姉からも影響を受けるというのはなくて…。

―他人は他人、自分は自分、みたいな感じですかね。

まさにそんな感じです。でも、それが悩みでしたね。人を顧みないのは、自分の心が壊れているからなのだろうと思っていました。というのも、人に良くしてあげたいと思っても、その人にとってはどのようにすることがよくしてあげることになるのかがよくわからない、といった感じで、常にあった心の葛藤ゆえに心が壊れているように思えたんです。

―では、教会に来ると「愛は関心だ」という言葉がひしひしと感じられるぐらいに関心が注がれますよね笑)その点はいかがでしたか?

関心を持たれるのは純粋にうれしかったですよ笑)「こんなに自分のことを聞いてくるのか…」と最初は不思議だったんですが笑)、深くてストレートな質問に答えられない自分がいて、あまり深く考えてこなかった自分の心がどんどん耕されていくのを感じました。

―自分の心が耕されていくにつれて徐々に人への関心も持てるようになっていった感じですかね。恵実奈さんといえば「伝道(※)の人」のイメージですが、神様の愛(=関心)を伝えたいという思いからだったのでしょうか?

※伝道…神様を知らない人に神様を伝えること。

まずは家族の救いを成したいというのがあったので、そのためには「義を積まないといけないな(※)」と思い、神様の喜ばれる伝道を頑張ったという流れですね。まずは、家族以外の人たちをより多く神様のもとへ導くことで義を積むことを考えました。

※義を積む…神様にとって善い行いをすること。

―そんな義を積み始めようとした矢先の16年ほど前、大きな病も経験されましたよね。20歳になったばかりの時だったこともあり、ショックも大きかったと思いますが。 

教会に通って2年ぐらい経ったときでしたが、本当の意味で信仰があった状態ではなかったと思います。精神的にもまだまだ幼くて、自分をおさめきれていなかったというか。そんな時に説教の中で健康診断の話が出て、感動を受けたので病院へ検査に行ったところ、胃がんが見つかりまして。胃の中にがん細胞が点在していた関係で、胃を全部摘出するしかない大手術に。説教の御言葉を聞いていなければ、検査など受ける気はさらさらなかったので命を救われたと実感するしかない機会となりました。しかも、自分の主治医が執刀すると開腹手術しかなかったのですが、主治医の友人が内視鏡手術の名医で且つ私が入院するタイミングでたまたま病院にいらっしゃった関係で、体のダメージが少ない内視鏡手術で胃の全摘をするという奇跡も体験することに。入院1カ月程を経て、その後半年は電車で立つのも本当につらいぐらいの衝撃的な経験ではありましたが「イエス様に救われた」と深く強烈に感じることとなりました。

―信仰が入るしかないですね。

肉体を救ってくださったように、自分の霊もそうなんだと自然と感じるようになりましたね。その頃はまだまだ精神的にも幼く、御言葉で救われるということがよくわからなかったんですが、病気の中で自分をより振り返るようになり、よく考えると自分の霊の渇きが御言葉で癒されていたのだと段々と感じるようになりました。(御言葉のことも)頭ではわかるけど…という次元から一歩深まったかなとは思いますね。

―ほほう。では学生時代は信仰を深めて駆け抜けた…!みたいな感じで? 

うーん。工学部を卒業して、大学院まで成り行きで進みましたが笑)、学生時代は天との愛に満たされる過程だったかなと思います。本当に信仰を持って本格的に信仰生活をし始めたと言えるのは、社会人になってからかと。学生の間はまだ幼かったですし、信仰生活の実践という点ではまだまだだったかと思いますね。

―今では、教会で牧会者のサポートをされて教会活動を中心的に担っていらっしゃるので、学生の頃からさぞかし、いわゆる熱い信仰生活を…というイメージももたれることもあるかもしれませんが。

学生の間は、信仰が入っているのかな?と牧会者の方々に思われるタイプだったかと笑)。ある意味、期待されていないし、自分自身のことも客観的に考えて神様のためにできることが突出して何かあるわけでもないので、伝道ならできるなと思い「伝道しよう」と思った次第です。

―いかにも熱く信仰生活をするようには思われていなかったんですね。そういえば私も若かりし頃「意外と信仰良かったんだ」と先輩に言われたことを思い出しました笑)しかし、結果的に神様を知らない人たちを主の体となって神様に導く伝道の実践に行きついたことは素晴らしいと思います。

伝道したことが自分を成長させてくれたと思います。社会人生活も7年やって今では仕事をやめて教会活動を中心にするようになりましたが、最初からそのようにしようとは思っていませんでした。でも(霊肉の)命が救われた自分にできることを考える中で、自分の人生の信仰哲学は「主と共に命の救い(※)」なのですが、それを形にして今の生活に行きついたと思います。

※ここでの命の救いの命とは、人間の霊の命を指す。以下、本文での命の救いは、霊的な命の救いのこと。

―牧会をやりたい、牧会者を目指しています、というのではなくて、1人でも多くの人の命の救いのために生きてゆこうというのが核にあっての人生の歩みということですね。結果、今後は牧会者という形で命の救いのために生きられることもあるかと思いますが、牧会者という形ではなくても命の救いのために生きている活動全てが恵実奈さんの人生ということで、素敵です。

なんだかはっきりしない人生ですが…笑)

―いえいえ、かなり明確な人生だと思います! 核がはっきりしているので。さてさてお話をずいぶん聞いてきたところで、このインタビューでのメインカットがなぜサッカー風景なのかについて触れねば笑)! もともとサッカー選手でしたというオチではなく、現在、恵実奈さんが力を入れられているのが、CGM(キリスト教福音宣教会)が推進する「平和サッカー」の活動ですよね。

実は私がサッカーを本格的に始めたのはおととしぐらいなんですが…、CGMの鄭 明析(チョン・ミョンソク)牧師がサッカーを通して神様の愛を伝え、平和サッカーを通して神様の歴史を広げてこられたのを強く実感したのがきっかけでした。

―現在、早朝から空き時間があればトレーニングしていると噂を耳にしました。ランニングや教会近辺の高架下でのトレーニングの目撃情報が教会メンバーから多数寄せられていますよ笑)!

笑)

まさに空き時間にはトレーニングの日々です。サッカーを通して神様の愛を伝え、平和を成してゆくためにも毎日の基礎練を続けています!

―いやあ、サッカーをしているとき、いい顔していますもんね!他の種目のスポーツもされてきたかと思いますが「平和サッカー」はやりがいを感じるしかなさそうですね。

実は教会に通う前の自分は、やりたいと思うことが全くなかったんです。ビジョンもこれといってないし、人生が白紙のようで。でも、今思うと何もなかったからこそ、教会に通うようになって神様の願いや成したいとことを知って、それが自分の願いになったんです。自分はこれがしたいというのがなかったからこそ、神様の夢が自分の夢になりました。なので、今は「平和サッカー」を通して世界的に神様の愛を伝え、一人でも多くの人が救いの道に導かれるようにと思ってサッカーにも力を入れています。

―貴重なお話をありがとうございました! 恵実奈さんに初めてお会いした時から変わらない、その天然さと人柄のマットな白さ(抽象的ですみません…。透明というよりはマットな質感のイメージ)が大好きです。様々な形で主と共に命の救いを成す、さらなるご活躍を期待しています!! 

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