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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.31

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


今回は、熟年離婚を経て人生の酸いも甘いも経験された後、息子さんを通して神様に出会い信仰を持つようになったメンバーの姿に迫ります。神様の目に留まったのは、幼いころからの明朗活発、行動派でありながらも、とても従順な、その気質なのだろうと感じました。

File.031 兒玉裕子さん(会社員・60代)

「もっといける。まだよく変わっていける」と
次から次へと変化できる機会がきて、楽しくてしょうがないです笑)


―聖書と出合う前は、さまざまなスピリチュアル分野に触れてこられたとお聞きしました。

ええ。それこそた~くさん触れてきましたね!笑)昔住んでいた家には、仏壇もあり神棚もあり、密教、神道などさまざまな宗教に関わり、般若心経は毎朝唱え、祝詞をあげたりなど。数えだしたらキリがないのですが笑)、宗教アドバイザーなる存在が過去に一時期、家を建てるタイミングで担当として家についたことがあったんですが…。その人を通して、これをやったらいいと言われる(スピリチュアルな)ことを素直にいろいろやっていました。また、学生時代からの親友がいわゆるスピリチュアルなことに対してアドバイスをくれる人を適宜紹介してくれたので、いろいろな人に出会い、自分をひたすら内省する経験や八百万の神を詣でるツアーや、滝行などもしましたよ。聖書を学ぶ前には、毎朝日の出とともに起き、体を洗ってチャクラを塩で清めてお経をあげるなど、40分ほどの朝のルーティンで一日が始まるという…。修行系のことが好きなのかしら笑)

―笑)。しかし、中学から短大までプロテスタント系の学校に通われていたとお聞きしましたが、聖書には行きつかなかったのでしょうか?

そうですね。行きつかず…。でも、学生時代に聖書に触れていたので聖書には抵抗はなく、馴染みがあったのは事実です。

―さまざまにスピリチュアルなことに触れられてきたようですが、真理に行きつきたかったなど、なにか求めるものがあったという感じですか?

うーん。というよりは、信頼している人たちから「これやるといいよ」と言われたことを素直にやり続けたという感じですかね。

―さまざまなことに従順にされてきた結果、得るものももちろんあったかと思いますが、聖書を学び、信仰を持たれたこととは違いがありますか?

はい。唯一の神様に行きついて信仰生活もシンプルですし、すっきりと、しかも神様の愛に挑戦する生き方になったことが大きく違うと今では思います。もちろん、最初学ぶときは「学問として聞こう」というスタンスでしたよ。

―では、先に信仰を持たれていた息子さんとの間の、どういう経緯で学び始められたのでしょうか?

実は息子を過干渉で育てしまったという思いがあり、息子には後ろめたさを感じていました。加えて、息子が大学進学を機に家を離れ、休み期間も家に帰ってこないのは自分のせいだと思っており、元夫にもずっとそう言われていたので…、息子に悪いことをした、うまく育ててあげられなかったのだと負い目しかなかったんです。そんな息子が感謝の手紙をくれる機会がありまして。それはもう感動して号泣して…。その機会もきっかけになって「今まで接してきた神様やスピリチュアルなことに付け加えればよいかな」ぐらいの気持ちで(聖書を)学び始めました。

―唯一の神様に行きついたのは…?

そう、それはなかなか難しかったです。最初、聖書を学ぶ中で神様の愛の話をされた時に、わからなくて、これまでの全てのスピリチュアル系ルーティンをやめて「創造主の神様を悟れるように」とお祈りすることに集中しました。毎朝40分ほどやっていたこまごましたルーティンから一転、お祈りは一瞬で終わるので「あれっ?」と拍子抜けのような感じも当初はありましたが笑)、「わかりたい」と真心で祈り続けました。しかも当初21日間お祈りしようと牧会者の方などと決めたのですが、21日祈り終わってまだよくわからなかったので、もう少し自分で祈ってみようと祈り続けました。その過程でキリスト教福音宣教会の自然聖殿であるウォルミョンドン に行く機会がありました。その中で、鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師が平和サッカー(※)のプレーで自ら走り続ける姿や、説教をするときのオーラある姿、そして、自然聖殿の松などの手入れを、教会メンバーと一緒になって自ら本当に素朴な姿で一つひとつされている様子に接しました。そして「この人は信用できる」と思ったんです。息子も牧師の姿や行ないを見て、牧師の信じ愛する神様を信じていると言っていたのですが、自分も同じくそう感じました。聖書を通しての御言葉を学びながら、続けて自ら祈り続けた結果、よくわかっていなかった自分に対して、牧師の姿を通して自然に神様を感じて悟ることができるように神様が変化させてくださったのだと思います。

※CGM(キリスト教福音宣教会)主催の神様の愛を伝えるサッカーの試合

―自発性が大事ですね。最初のきっかけは言われて、だったとしても、祈りなど自らやってこそ感じられることがありますよね。

そう思います。信仰をきっかけに息子との距離も縮まってうれしいことだらけ笑)。5年ほど前には、こんなこともあるんだ!といううれしい経験も! 結婚して子供もいる息子が、転職で名古屋に戻ってきた期間が9カ月あったんです。当初は息子家族全員で引っ越しを考えていましたが、なかなか条件に合う物件がないこともあって、単身赴任となった息子と二人で暮らすことに。料理はもともと大嫌いなんですが笑)、息子のためにご飯をたくさん作って、これまで子育てに負い目を感じていた分、一生懸命挽回することができました。神様がこんな機会もくださるんだと改めて感謝しています。

―そんなに負い目を感じていらっしゃったんですか?

私は自己中心なところがあったので、息子は嫌だったと思いますよ笑)。

―息子さんにもインタビューしてみないとですが…!それにしても、同じ信仰を持つようになっていろいろ抱えていたものも解かれたのは素敵なことだと思います。

「神様が与えてくださる」とよく言われますが、自分が生まれてからこれまでの人生を振り返ってみても、今までの経験から本当にその通りだと思います。さまざまな経験があるからこそより深く実感できていることも多いと思います。

―神様に出会うタイミングは人それぞれですが、兒玉さんにとってベストなタイミングだったんですね。ところで、信仰を持ってスマートになったと思われることはどのようなところですか?

生き方そのものがシンプルになったことですね。というのも、八百万の神を詣でるためには、それこそ日本全国出かけまくっていたのですが笑)、唯一の神様にはここに行かねば会えないというのがないので、動きがそれこそスマートになりました笑)。あっちに行ってこっちに行ってというのがなくなり、信仰生活もとてもシンプルですよね。なにかいろいろ準備しないといけないグッズみたいなものもないわけで笑)。まさに洗練されたなと笑)。

―なるほど。確かに、主の栄光教会はお住いの場所からも遠くない、名古屋市にありますしね! また、信仰を持って一番変化されたことはありますか?

謙虚になったことですね。ふと「自分、いい人になったな」なんて思っていたら「まだまだ違うよ」っていう出来事がいろいろ起こるんですよ笑)!だから「ああ、もっとよくなれる。もっとよく変われる」と思って次々に自分を変化させてくれる機会がくる。もう十分と思ったら成長はないですが、神様を前にしては、いくらでもよく変化して成長する機会があるので楽しくてしょうがないです。究極の愛の体現者である神様への愛に挑戦できるのは幸せなことだと思います。だって、人は一生、本当の愛を学ぶために生きていると思うので。

―愛への挑戦には終わりがないですね! 最後に、今後の展望を踏まえて、現在思われることをお聞きできればと思います。

今、自分自身が幸せを感じているから、神様のもとへ一人でも多くの人が一日でも早く戻ってきてほしいと思っています。楽しく、神様のもとでいろいろなことを実践していけたらと思っています!一緒にやる人、大募集です~笑)!!

貴重なお話をありがとうございました。今後も人生の先輩として教会内外で個性の光を放っていかれることを期待し、応援しています!! 

教会に導かれる前のさまざまなスピリチュアル体験の中の一つ、滝行の様子。男性陣に交じって一人滝に打たれているのが兒玉さん。(写真中央の鉢巻き姿)
お嫁さん大好きな兒玉さん。(もちろん、かわいいお孫さんも大好き)息子さんご一家が還暦のお祝いで、京都旅行をプレゼントしてくれた。
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