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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.17

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

多角的な視点をもって信仰をもつ大切さを改めて感じた今回のインタビュー。堅実で聡明なメンバーをご紹介します。

File.017 辻原啓之さん(40代・社会人)

「社会と教会の架け橋になりたい」。その思いで日々、さまざまに学んで自分を作っています。


―教会に通うようになった経緯をお聞かせください。

私は中学高校とバスケをやって、名古屋大学に進学しました。同じ三重県の高校出身の同級生が同じ理学部に通っていましたが、彼が先に教会で学んでおり、教会のメンバーでやっていたバスケに誘われて行ったことがありました。一緒にバスケをやりながら「人格的なひとたちだなあ」と実感をもっていたところ、彼から聖書を学んでいる人たちだと聞いて納得。「聖書を学んでいる人たちなので、こうなんだな」と聖書への偏見よりはむしろその姿から「だからなのか」と納得したのを覚えています。ちなみに自分は大学入学時に、せっかくやるならバスケを本格的にやろうと体育会のバスケ部に所属したのですが、一年で挫折。というのも、憧れていたのびのびとしたキャンパス生活とは程遠く、部の雰囲気があまりにも合わずにやめたのですが、途中でやめることに悔しい思いもあり、また正直一年で疲れてしまった失意の時に、教会のメンバーたちとのバスケがあったんです。

― 一年で体育会のバスケ部をやめられたのは病気のこともあったんですよね?

そうですね。小学校6年生の頃に、甲状腺機能亢進症という病気が発症したのですが、代謝が必要以上にあがって常に全力疾走しているような状態になる病気でした。しかし、薬を飲み続ければ症状を抑えることができるので、中学高校と薬を飲み続けてバスケをやっていた状況でした。そこまではひどくなかったのですが、大学に進学してから悪化し、体育会でありながら、日々部活の練習を見学するしかない状況だったこともやめようと思ったきっかけになったと思います。

―先ほど、バスケをしながら「聖書を学んでいる人たちだからなのか」と納得したとおっしゃっていましたが、教会のメンバーの姿から聖書を学ぶということに好印象を持ったということですか?

はい。まさにそうです。自分もこういう人たちのようになりたいと思っていて、同級生が学んでいることを知っていたので「自分にはいつ話してくれるんだろう?」と少々心待ちにしていました笑)

―そうして、聖書を学び、礼拝にも参加されるようになって信仰を持たれるようになったわけですが、信仰を持つ前と後でご自身の変化を感じられる点をお聞かせください。

短気で怒りっぽいところがなくなったことですかね。

―なんと! 短気だったんですか?意外です。

そうですか?笑)聖書を学ぶ中でカインという人物が出てくるのですが、その人物の性格的な特徴の真っ先に挙げられるのが「血気盛ん」。神様の嫌う性格の一つなのですが、それを初めて聞いたときに衝撃でした……!自分だ!となったわけです。

―まさに「腹には苦い」御言葉だったわけですね笑)しかし、それをお聞きになって心が痛いと感じられるには、その時すでに神様という存在を認めていらっしゃったからのようにも思いますね。

それもあるかもしれないですが、聖書を学ぶ前に、なぜ自分は怒りっぽく短気なんだろうと分析したことがあったんです。そのときに「自分の自尊心を保つために怒って相手を下げることで自分が優位に立とうとしているんだ」とわかって、そんな性格を直したかった。が、直せるきっかけもなく、当時は周りに見本になる人もいなかったんですよね。

―そこで、聖書を通してズバリと指摘されたと。

まさに!まあ、今思うと、聖霊の感動を受けたという一言に尽きると思います。これじゃあだめだと3年かかって直せたかと。同じようなシチュエーションで「あれ?以前はこの状況でよく怒っていたのに、怒っていない……」という自分に気づいたのが「血気盛ん」を聞いて直そうと決心してから3年が経った頃です。また、当時聖書を教えてくださった牧会者が「どういう人になりたいのか?」と尋ねられたことがありました。その時に自分は、優しい人になりたいと答えましたが「それならば強くならないとね」と言われたのですが「優しくなるためには強くならないといけない」というのが、怒りっぽさを直せていない自分にはよくわからなかった。しかし、3年かかって直しながら、強くなることが優しくなることなど悟るようになりました。

―性格を直すことはそう簡単なことではないと思いますが、実践の上に立つ信仰の姿が素敵です。さて、今では温厚で強い優しさを持たれた辻原さんですが、教会運営を支えてくださっていますよね。

そうですね。教会の建物を維持管理するために必要な事務的なところを主に担当しています。光熱費の支払い窓口から定期的に行なわれているエレベーター点検の窓口まで。詳細は割愛しますが、維持運営管理業務の全般ですかね。

―牧会者の方々とは別の形で教会をどっしりと支えてくださっているわけですが、教会運営、維持管理を確実に行なわれている姿を拝見していると、なにやら藩の名君のようなイメージを感じるのは私だけでしょうか……笑)

笑)私は歴史が好きなのですが、それも影響していますかね……?実は、高校3年生のセンター試験前に、ストレスがたまって勉強がしたくなくなり、TVでも見ようとつけた番組で上杉鷹山が取り上げられていました。そこで、彼の名言「なせば成る 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という言葉に衝撃を受けてとにかくやろう、やらねばとストレスを吹き飛ばして自己を鼓舞して受験に臨んだという経緯があります。

―なせば成る、まさに聖書にも通じる真理ですよね。

そうですね。

―さて、三重県ご出身で東海地域に長くいらっしゃる辻原さんですが、今後の東海地域における名古屋の主の栄光教会への展望などお聞かせください。

東京へも大阪へも行きやすい名古屋はまさに交通の要所。さらに、今後リニア中央新幹線が開通するとますます行き来の時間も短縮される。そして自動運転車が当たり前となってくると、人の住み方、物流にも変化が起こり、人・もの・金の行き来が盛んになる分、名古屋はもっと栄える地となるでしょうね。そのように地域と地域をつなぐ地というのは、宗教的に見ても栄える地だと思います。主の栄光教会も大事な土地にあるので、神様の目により留まる教会となるといいなと思います。

―最後に、ご自身の今後の目標などお聞かせください。

聖書を学び始めたころから思っていたことに、自分は社会と教会の架け橋になりたい、というのがありました。大学卒業後、会社に就職し、結婚もして現在に至るわけですが、その中で、夫婦で教会に通う若いメンバーのご両親とお話し、ご相談にのるなど親世代の方々と関わる機会が増えました。その時に、社会との架け橋になるというのはこういうことなんだと実感しました。また、自分は政治や歴史の本を読むのが好きなのですが、世界情勢などもさまざまに学ぶ中で、世の中で起こっている物事を善悪二元論で決めつけるのはよくないのだな、と思うようになりました。そして、この人(もしくは地域、状況)を善、この人(もしくは地域、状況)は悪と二元論で分けきれないものだと。より善、より悪というのはあると思いますが、相対として善・悪の分け方は違う気がしています。そのような考えを土台にしつつ、盲目的と思われがちな信仰というものへの誤解や教会への偏見なども解いていけたらと思っていますし、より多くの人が通いやすい教会になるような働きをしていきたいと思っています。そのためにも日々、さまざまに学び自分を作っていきます。

―なるほど。全体を相対の善悪で区分するのではなく、個人の中にはある善悪に目を向けて自分たちを作っていくという視点は大事だと思います。世の中のことを知れば知るほど、信仰って大事だなと改めて感じますね。

そう、信仰を持たないとやっていけないと個人的には思います笑)

―笑)本当にやっていけないですよね! 今回は貴重なお話をありがとうございました。歴史や政治など世の中へのさまざまな知見をもった上で、絶対的な神様という存在を信じ、信仰をもつ必要性を語ってくださる人がいらっしゃるのは大きいと思います。

母校名古屋大学の豊田講堂前にて。
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