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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.23

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


今回は3歳のころからサッカーに親しみ、小・中・高そして大学生となり、社会人生活を送りながら教会に通う現在もサッカーに親しみ、自身を磨き続けるメンバーの登場です。「ああ、こういう息子がいたら…」と思わせる笑)好青年の姿に迫ります。(※以下、好青年という単語が何度も出てきます…。あしからず…)

File.023 中村千宏さん(20代)

自分の予想の上をゆく考えに
触れると面白いと感じます。


―幼いころからサッカーに親しみ、教会に通うきっかけになったのもサッカーだったとお聞きしました。

はい。高校時代のサッカー部の同級生が誘ってくれて教会の人たちが行なっているサッカーに参加し、教会の人たちと接したのがきっかけと言えると思います。実は、その同級生との仲は当初良好とはいえなかったんですが、彼は高校3年になった時点で20名が部活を引退するなかで、夏の大会に向けて部に残った選抜メンバー5名の内の一人でした。勉強と部活を両立せねばならない状況を通して、部活後に公民館で勉強し、ごはんを食べ…と文字通りいつも一緒にいたことで仲良くなった仲間ですね。

―青春! 教会の人たちに出会ったのもサッカーと深いつながりがあるんですね。サッカーを続ける選択をしていなかったら、出会えなかったかもしれないので。

そうですね。まさにサッカーを続けてきたからこそ出会えたかと。

―教会の人たちとのサッカーは最初どんな感じでした? 

とにかく輪に入れる力がすごい!と感じました。初めて会ったとは思えないくらい。わざとらしい感じではなくて、自然と輪に入っていける感じです。

―中村さんの人格ができていたのもあるかと思いますよ! もともとMFのポジションでキャプテンも経験されてきたかと思いますが、教会のメンバーと行なうサッカーには何か違いがありましたか?

そうですね。いろいろあるんですが、教会のメンバーとのサッカーへ2回目に参加した際に大きく感じたことがありました。とある大会の試合で、自分のチームは未経験者が多かったんですが、勝ちあがって決勝までいったんです。これはこのまま優勝か…とまで思えるくらい勢いもあったのですが、結果は3-0でこっぴどく負けたんですね。でも負けたということよりも驚いたことが。試合中に相手チームが常にボールをキープしている状況だったのですが、相手チームがゴールするたびに自分のチームの人たちが喜んでゴールを決めた人とハイタッチしてるんですよ…笑)。正直、点を取られて悔しい思いもあったんですが、相手が決めたゴールを喜ぶメンバーの姿を見て「楽しい!」と心から感じました。もちろん試合である以上、勝ちを取りにいくことは大事だと思いますが、それ以上の何かを感じましたし、いつのまにか点を相手が決めた時のハイタッチの輪に自然と入っている自分がいました。

―「楽しい」と心から思えるサッカーを経験して、教会の人たちとサッカーをされる中で意識されていることなどありますか?

自分のチームに未経験者が多かったとお話しましたが、教会の人たちと行なうサッカーは未経験者でもとっても輝いていることが印象的です。未経験者の方がプレーに精神が出ると思いますし。なにより未経験者を通して働く神様の働きがあって、それを感じるのはここでしか味わえないサッカーの醍醐味の一つかと思います。なので、教会に通うようになってからサッカー経験者の自分としては、未経験者であっても楽しめるように調和を成せるようにと思ってサッカーをしていました。が、ある時自分自身を通してしか表せない神様の働きや姿があるから、実力を出し切らずに手を抜くのは違う、ということを深く感じるようにもなりました。今では、調和を成すことももちろん念頭にありますが、自分の努力や行いの上に働かれる神様を意識して実力を出してプレーするように心がけています。

―サッカーのお話を聞いていますが、いろんな分野に置き換えても通じるお話ですね。深い! 

そうですよね。サッカーを通して自分自身のことはもちろん、日常生活、人生についても深く学べるところが教会で行うサッカーの素敵なところですね! 聖書を学んだ上で「サッカーは再教育の場だ」とCGMの鄭 明析(チョン・ミョンソク)牧師が教えてくださったことがありますが、まさにそうだと思います。そして身近なこととしては、プレーを見ながらこうしたほうがいいんじゃないか…と思うところがあっても正論では通じないことをサッカーを通して悟ったんですが、会社の人や家族に対してもそういうところありますよね。愛をもって伝えてこそ通じる、というか…。

―本当に! 言われなくてもわかってるよ~!と思っていることを正論で滔々と諭されても反発しちゃいますよね。私のようなあまのじゃくだと特にそう思いますし笑)!

笑)。愛って大きいですよね。教会に通うようになって、心が楽になった感覚があって、大きく変化したことの一つなのですが、まさに神様の愛を感じたからだと思います。高校生の時は部活でキャプテンもやって、常に気が張ってしましたし、気を遣う場面も多かったので、知らないうちに重荷のようなものを感じていました。しかし、今は良し悪しの基準がわかるので、サッカーにおいても何をするにもできないことは祈るしかないし、やることやったら委ねようと思えるところが変わりましたね。

―その自然な信仰者の姿、好感度大ですね! 好青年ですっ笑)! 

笑)。最近、社会人生活を始めて4年目にして仕事が楽しくなってきましたが、自分はサッカーを通じて感じることが多いのでその経験が職場でも生かされています。

―理学療法士をされていますが、職場で意識されていることは?

感謝というのは本当に力があるなと感じています。仕事をする中で、マンネリ化や肉体的にも精神的にも大変なこともありますが、そんな時こそ感謝を忘れてはいけないなと。感謝できないような時だとしても、まずはこの職に付けたことへの感謝を土台として「感謝、感謝…」と思いながらやってきました。大変な時ほど、天の側に行くというマインドが大事だと思っています。

―好青年です!何回、この言葉を言わせますか!笑)

笑)

―少しサッカー関連のお話に戻しますが、中村さんのサッカーでのパスがクリエイティブ且つ愛に溢れているとお聞きしました。(同編集部の記者:ジンジャー氏より)そのようなプレーができるようになったのはどうしてだとご自身では思われますか?

そうおっしゃっていただき、ありがとうございます!(注記:取材時に編集部のジンジャー氏が同席していましたが、その場でも中村さんのパスについて熱く話してくれました)

より深い心の思いを表す言葉として心情というのがありますが、自分はまさにその心情を意識してパスするようにしています。これは聖書を学ぶことでより意識するようになったわけですが、これを意識して動けるのは過去の経験による技術的なことも大きいと思います。3歳からサッカーをやってきましたが、小学3年生の時にクラブチームに入って、そこから中学2年まではベンチで中学3年の最後にスタメン入りした過程を経てきたので、いわゆる下積みの期間が長く、いろんなポジションを経験したんですね。一番後ろから中盤、トップ…。なので、このポジションではどんな気持ちでプレーしているのか、どんなパスを必要としているのか、どういうプレーをしてほしいと思っているのか、どういうプレーがゴールにつながるのかなどを考えながらプレーするようになりました。目線からも次の動きが見えるので、目線もしっかり見るようにしています。周りをいかに見ることができるか、を意識した今のプレーは過去の経験にもつながっていると思います。

―信仰と技術による証ですね! どちらも兼ね備えてこそより雄大に神様の姿を現わせますよね。

そう思います。技術も兼ね備えてこそ現すことのできる神様の姿や主の精神があると思います。

―すべての発言が好青年ですね笑)くどくてすみません…。最後になりますが、ご自身の今後の目指されていることなどお聞かせください!

サッカーでもそうですが、生活を通して関わる人たちに自分を通して神様の、主の愛を感じてもらえるようになりたいです。自分は新しいことに挑戦するのは苦手な方なので、よりよく変化することをより意識して生活のすべての場面において主の愛で接していきたいと思っています。

―貴重なお話をありがとうございました!サッカーの深さを教えていただくとともに、信仰のプレゼントをいただいた私たちが、各分野の技術も磨きながらより美しく、雄大に主の愛を伝えてゆく大事さを改めて感じる時間でした。中村さん、すでに好青年すぎますが笑)、主の前でさらなる好青年となっていただいて、もうこうなったら高みを目指して羽ばたいてくださいっ!とそのまぶしさに目を細める編集部長:ロミでした。今後のさらなるご活躍も期待しています!! 

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