主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。
今回は、思ったことをはっきりと楽しく話す、素敵な自立した女性メンバーの登場です。長く信仰生活をするには、やはりユーモアを大事に自分に正直にあるべきだと改めて感じさせてくださる、才能あふれるその姿。自ら作曲された合唱曲のおまけつき!
File.026 飯田 のりこさん(会社員)
最初は知的好奇心。でも、最終的には
自分の深い部分で「これだ」と確信したわけです。
―聖書との出合いのきっかけは高校時代の友人だったとか。
はい。私の地元は静岡なのですが、東京の音楽大学に進学し、その子は東京の別の大学へ。それから帰省して会った時に「東京でも会おう」と連絡先を交換していて。連絡が来たと思ったらアクトレスをやるから(イベントを)観に来ないかと誘われたので面白そうと観に行きました。教会のメンバーたちが主催したイベント内の演劇で、その子がなんとずっとセリフのない「木」の役で…笑)アクトレスと言うので、さぞかし大役なのだろうと花束抱えて行ったんですが、拍子抜けしたのを覚えています笑)
―あら。ユーモアセンスのあるご友人ですね!笑)
そうですよね。とにかく、友人の姿には拍子抜けしましたが笑)、教会主催のイベントということで、聖歌隊の歌もあり、みんなの歌う姿に感動しました。というのも音大で合唱の授業があったのですが、声楽専攻でもない限り、特に男性たちは面倒くさそうに歌っている…、という印象だったので、男女ともに聖歌隊の人たちが本当に楽しそうに歌っている姿がとても新鮮でびっくりし、素直に感動しました。
―なるほど。何か違うなという感じですかね?
うーん。そうなのかな? 音楽教育科出身の自分としては、専門的な技術うんぬんというよりも何か感じるところがあったのかもしれませんね。でも、その後、その教会のメンバーとバレーを一緒にやるという展開になりました笑)! しかも、私はその当時、音大のバレー部だったんですよ!
―お! 粋な天の導き、その一ですね! にしても音大でバレーボール部というのはなかなかそれこそ新鮮な…。
バスケをやりたかったのですが、見学に行ったときに隣でやっているバレー部の方が女子部員も多く、しっかりやっている印象だったので入部することにしました。そして教会のみんなは、当時バレーボールをよくやっていたので、歌よりもバレーの方がみんなと接する機会としては最善だったのかと思いますね。
―そうしてメンバーと接するうちに聖書を学ぶことに?
そうですね。聖書を学んでみないかと言われた時には正直「私は結構です」と思いましたね笑)。実家は仏教ですし、キリスト教かと。そのとき、先に出てきたアクトレスの友人も聖書を学んでいると聞き興味がわきました。彼女がお寺のお嬢さんだったことと、高校時代に校長が僧侶やシスターを招いて話をしてくれる時間があったのですが、自分が興味深く聞いていた話を、彼女は聞かずによく寝ていて、学校の先生によく怒られていたことを思い出し、そんな彼女が聞いているならば面白い話なのかも…と学んでみることにしました。
―大学3年生の時に聖書に出合って学び、卒業後は地元の静岡に戻って就職されましたよね?教会は東京にあったので、静岡から通って聖書を学び、礼拝にも参加されていたと聞きました。
そうですね。当時は配信等のシステムがまだそこまで充実していなかったですからね~! 2週間に1回のペースで東京の教会に行って、泊りがけで聖書を学び、聞けていなかった説教の御言葉などを一気に聞いて、礼拝にも参加するという生活を続けました。そういった信仰生活を続けていましたが、一度それなりに長期間、礼拝にも参加しないお休み期間を経験しました。
―信仰生活を長く経る中ではいろいろありますよね! そしてお休みを経てもう一度、教会に通い、信仰生活を現在も続けていらっしゃいますよね。そのきっかけは?
お休み期間中であっても、連絡のやり取りをしていたメンバーがいて、静岡に来て話す機会がありました。その時に自分がお休み期間中に聞けていなかった説教の御言葉などを聞かせてくれたり、純粋に自分が感じている疑問などを一つひとつ話す中で、自分の肉(※)は教会へ再度通うことを拒否していましたが、自分の霊(根本の自分)は御言葉に反応していました。ある御言葉を聞いたときに霊が驚いたようで、寒くもないのに足が震えたんですよね。
※人間を構成する霊・魂・肉における肉のこと。
―霊の思いを自分の肉体が受けたんですね。
そうですね。その話の後、1カ月してから礼拝にも参加した時に「ああ、自分の霊が飢えていて、御言葉を聞きたがっている」とはっきり思いました。しかもそれまで讃美歌を聞いたり歌っても泣いたりすることはなかったのですが、その時は讃美で泣いた自分がいた。そうして再度教会に通うことになって今に至ります。
―霊で確信されたわけですね。そんな霊が賢い飯田さんですが、専門分野を活かして「春」という讃美歌を作曲されました。
はい。CGM(キリスト教福音宣教会)の鄭 明析(チョン・ミョンソク)牧師の「春」という詩を歌詞として、作曲しました。聖歌隊のための合唱曲として作曲した曲です。
―とてもきれいな曲ですよね。私も昔、教会でよく歌っていました。とても言葉を大切にされている印象です。
そうですね。信仰色が強すぎない笑)詩を読んで、「春」がきれいだと思い、自分も春生まれなので、曲を書いてみたいと選びました。間奏のピアノ部分は桜の花びらが、さーっと散っているイメージです。もとは韓国語の詩なので、翻訳された日本語の音への当て方が違和感のないように言葉を大事にしたいと思って作りました。
―文章だけではもったいないので、「春」のコーラス版はコチラから!!!
―音楽の専門家として、現在も礼拝の奏楽でビオラやバイオリン(時にはピアノも!)もされて音楽の才能を天の前で発揮されていますが、やはり昔から音楽を通して神様の存在を実感される機会が多いですか?
そうですね。聖書を学んでまだ間もない頃、大学のレッスン時にピアノを神様のために演奏しようと思ってドビュッシーの曲を弾きました。その時、自分の中で今までにないスッキリした感じがあり、聞いていた大学の教授も「すごくいい」と言ってくださって「天に届いたんだな」と思いました。
―最後に、今後の目標などお聞かせください。
音楽のタラント(※)を通して、より多くの人が神様に出会えるような働きをしていきたいと思います。天の期待に応えらえるようにしていきたいですね。
※新約聖書に出てくるタラントの例えより。神様が人間に下さった賜物としての才能や能力のことを示す。
―貴重なお話をありがとうございました! 天の前での素直できれいな姿が曲にも表れている飯田さん。さらなるご活躍を期待しています!!
和音から制作していった「春」、歌詞のもつ雰囲気から音が生まれた。