主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。
今回は、いつも笑顔が印象的なメンバーの登場です。でも、その笑顔に至るまでには大きな変化があってのことでした。笑顔ひとつとってもその人の歴史を知ることができますね。
File.035 Tsuyakoさん(専門職・40代)
自分のことが自分でよくわからない矛盾から
抜け出せて本当によかったと実感しています。
―大学の部活で副部長をしている時に、聖書を知るようになったとお聞きしました。
はい。大学3年生の時に副部長をしていたんですが、人をまとめるということに苦労していた時でした。信頼する先輩が、人をとても雰囲気良くまとめている姿を見て、どうやったらそうできるのかと聞いてみたんです。そうしたら「方法論は教えられないけれども、その精神や考え方ならば教えられると思う」と聖書のことを紹介してくれました
―その先輩は聖書を学んだことで、人をよくまとめられる精神や考え方を得た、ということだったんですね。
そうですね。でも、「聖書?なにか呪文が書いてあるやつ…?」ぐらいのレベルでしか認識できていなくて、イメージはあまりいいものではありませんでした。でも、信頼する先輩が言うならば…という感じでした。

―学んでみたら、呪文だらけでしたか?!笑)
笑)いえいえ。自分の霊についての話を聞いたときに「なるほど~」と思いました。もともと自分が感じていた葛藤、実は葛藤しているということすら認識はしていなかったのですが、この言葉にできないむなしさは霊からくるものなのか、と知ることができました。霊と肉の葛藤が自分にはあったのだと。普通に、中学、高校と楽しく過ごしていたのですが、友達と遊び終わって一人になったときに、とってもむなしかったのをおぼえています。自分に“奥底の心”みたいなものがあって、本当の自分はよく生きたいけれど、周りに合わせないといけないという葛藤が常にありました。その葛藤が嫌だったのですが、自分に霊があると聖書を通して知り、「霊の思いがあるから、葛藤を感じるのか、なるほど」となったわけです。
―自分の解決できない思いが、どこからくるのか分かったのは大きいですよね。言語化もできない葛藤は確実に自分のものなのに、自分では説明できないという。
ですね。葛藤に嫌気がさしていましたが、霊と肉の葛藤や矛盾だったのかとはっきりわかって感動したのをおぼえています。
―では、そこから祈りについてもすんなり実行できましたか?
実は、小学2年生の時に祖父が亡くなったのですが、そこで死というものに直面することになりました。この前まで、入院先の病院にお見舞いに行って話していた祖父が、ある日目を覚ましたら、亡くなったと聞き…。動かなくなった祖父の姿を見て、人間が死ぬとこうなるのか、というのを目の当たりにして「次の日に自分が死んでいたらどうしよう」と死への恐怖が生まれました。そこで、「明日も生きられるように」と小学3年生ごろまでほぼ毎日祈って過ごすように。もちろん、誰に向かって祈っているのかなどは、その当時は分かっていなかったのですが、聖書を通してお祈りの話を聞くようになって、「ああ、あの時は神様に祈っていたのだな」と分かってしっくりきました。

―実体験で感じていたことを、聖書を学ぶ中で解かれていった感じですね。
ですね。今まで経験してきたけれど、誰にも言えなかった疑問、しかも何が疑問なのかもはっきりとは言えないけれどすっきりしない事に一つひとつ、聖書の話を通して答えてもらいました。
―そうして、教会にも通われるようになっていったかと思いますが、聖書を学び始めてしばらくは大阪にいらっしゃって、今は名古屋にいらっしゃいます。これはご実家の三重に戻られるためだとお聞きしました。
2011年に、全国にいるCGM(キリスト教福音宣教会)の三重県出身の方々が三重に集まって礼拝を捧げたことがありました。これまで三重は自分の故郷ではありましたが、そこまで思い入れがあったわけではなかったんです。でもその礼拝を捧げながら、CGMの教会をこの三重の地に絶対立てたいという感動がありました。帰り道に一人で道を歩きながら、涙が流れてくるぐらいです。自分でもびっくりしました笑)。それまで、聖書を学び、教会に通いながらも神様の本当の愛がわかっているようでわかっていなかった自分がいたのですが、その頃、神様の愛に真実に目覚めて、自分の中でたくさん悔い改めもしていた時でした。愛が分かったから、本当にいろいろなものの価値が回復されて、道が開かれたと感じるしかありませんでした。

―まさに、聖霊の感動ですね!
まさに!しかも、その感動を受けた翌年に膝の前十字靭帯が断裂しまして…。
―あら、それは聖霊の働き…!道が開かれた…?!ではないですよね笑)?
笑)スポーツで痛めてしまったんです。が、名医の方がいらっしゃったのか、人気の病院だったので手術が5か月後にしか予約が取れず…。怪我した直後は断裂の衝撃ですごく腫れて歩けず、松葉杖を使う生活でしたが、一か月くらい経ってからは日常生活をする分には問題がないぐらいには回復できました。そこで、手術までの期間は動ける範囲で、教会の牧会者のお手伝いなどをして過ごしていました。

―牧会者の姿や働きを側で見て過ごす期間になったんですね。そうして、しばらくして岡山にあるCGMの教会のお手伝いにも行かれたようですね。
はい。そこでは、大阪の教会のように人は多くないので、自分の苦手分野でもやっていかねばなりません。ここでは自分のできなさに向き合って、常に自分との戦いの日々でした。よく岡山の港にも行きましたよ。一人で考え事をするには絶好の場所で。
―お!だから、今回の撮影場所を名古屋港にされたんですね笑)。
港は、なんだか落ち着く場所なんですよね笑)。三重にも海があって馴染み深い場所なんだと思います。風も吹いてきて、鳥の鳴き声も聞こえて、目の前では海が波打っていて…。

―そうして4年ほど岡山にいらっしゃって、三重に戻られる時がきたと。
今は名古屋ですが、近いうちに三重へ戻ります。実家の家業を継ぐのですが、地元で職もあった上で三重という地に根付いて、(CGMの)教会を立てることに携われるので感謝しています。もちろん、家業を継ぐのも簡単なことではないので、悩みました。でも、日曜日の説教で(神様の)御心の話があった週に、父から家業を継がないかと本格的に打診があって、最終的に決心できた時も御心の話が出ていた週でした。
―神様が共にされていますね。さきほど、神様の愛を本当にわかったから道が開かれたとおっしゃっていましたが、愛を知って、自分の価値を悟ると自分の進むべき道が見えてくるのを感じます。
そうですよね。私は4人兄妹でもあってか人と比べることも多く、自分に価値があるとは思えなかったタイプでした。でも、愛を知って価値のある存在だとわかって、自分のことを好きになれたことが本当に大きかったです。自分の中で、矛盾がないというのが大きいですね。心から幸せだと思えるようになりました。

―人と比べて、人に嫌われないようにと自分を作って生きるのは日本人には多いと思うのですが、その点をはっきり克服されているからいつもその笑顔なんですね~!納得。
昔も笑ってはいたんですが、すべてが作り物だった気がします。表向きの姿と、実のところ心では違うことを思っていたり。自分が自分でわからなかった。聖書を学びながら自分と向き合わざるを得なくて人間らしくなったな、と自分でも思います笑)
―最後にご自身の今後の目標などお聞かせください。
幼い頃に経験した祖父の死を通して、そしていつも感じていた葛藤を通して、生きる意味や人間とはなんぞや?と一人の時に考えていましたが、その時からずっと神様が導いてきてくださったんだな、と思います。自分が神様を知る前から神様は愛してここまで共にしてくださっているから、私もこれからも変わらずに神様にとって安心できる存在でありたいなと思っています。
貴重なお話をありがとうございました。三重県、自然豊かで魅力的な地ですよね。その場所で、神様、そして主の愛を一人でも多くの人に伝えてゆかれてください!今後のご活躍も応援しています!遊びに行きますね~!!

