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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.39

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


今回は一つひとつの質問に、自分の言葉で丁寧に答える姿が印象的な、アートなメンバーをご紹介します。「Smartな人」のインタビューにふさわしく、まさにアートな人物。答える言葉一つの表現から、映画のような情景がカラフルに色づいて、次々と思い浮かぶインタビューは久々でした。

File.039 戸谷文香さん(会社員・30代)

芸術も神様のためにという目的があると
ゆるがずに制作できると思います。


―愛知県の美術大学・大学院を卒業されている戸谷さん。聖書に出合ったのは弟さんがきっかけだったとお聞きしました。

はい。弟が北海道で下宿している時に遊びに行ったのがきっかけでした。

―美大を卒業後、ドイツに行かれる前ですかね?

正確にはドイツに移住しようとする前でした。学生時代に一度ドイツへ留学をしていて、今度は仕事を現地で見つけて移住しようとした矢先にコロナ禍によって先が見えない状況に…。当時のバイト先が休業となったこともあり、弟が楽しそうに過ごしている北海道に気分転換も兼ねて行ってみようと思い立ち…。

―楽しそうに過ごしていたとのこと、なによりですね笑)

ですね笑)家族間のLINEのトークグループに、北海道の思い出写真がいろいろ送られてきていて。素敵な場所なのだな、と興味がわきました。遊びで1週間ほど滞在して「よし。ここに移住しよう」と仕事を探していた時に、弟が通っていた教会の人たちとも接するようになりました。そこで、意気投合。息の合う人たちと生活するに越したことはないと北海道でしばらく暮らすようになりました。今は名古屋に戻り、引き続き教会に通い、こうしてインタビューを受けているなんて不思議です笑)。

―笑)それにしても、心地よい場所と人たちがいれば最強ですね。ちなみにどのように息が合うと感じたんでしょうか?

私は、当時「人生に対する問いは一生かけて議論していくものだろう」と思って人生への虚しさを感じていました。つまり、人生の問いなるものには答えがなくて当然だが、あってほしいような期待する気持ちもありました。ある時、「人は肉体だけで人は生きているわけではないと思う」と私が話した時に、教会の人がはっきりと確信をもって「それは、人に霊魂というものがあって…」と話してくれました。そこで、はっきりと答えをもって生きている人たちならば息が合うなと思いました。

―人生について考えられていたとのことですが、美大で創作活動をする過程でもやはり、深く考えそうですよね。

そうですね。創作することを仕事にするにあたって、何を創作し、アートを通して何を伝えるのか、伝えるに値するものを探す中で、人間の存在意義について深く考えていました。ユングなどの哲学書にも触れ、自分なりに納得しようと頑張っていて、公園のベンチでヨガをしてみたり、瞑想してみたり…笑)人間の肉体100年ぐらい生きるだけで終わってしまうならば、ここまで努力して生きる価値があるのだろか、もっと意味がないと頑張って生きられないな、と考えていました。

―ということは、永遠に生きる、自分の霊という存在にも腑に落ちるものがありそうですね。

そうです、腑に落ちました。しかも、目には見えない全能者的な存在についても、いないとおかしいよな、というのがありました。例えば、「ここになぜコーヒーがあるのか?」というのは「なぜ地球というものが存在しているのか?」という問いにもつながっていて、何もいなくて、ただ奇跡が都合よく連なって存在するというものではないだろう、存在させる何かがいないと成立しないなと思っていたので。

―アートの題材にもつながりそうですね。

はい。意味あるものを題材にしたいと探していたので、聖書との出合いは必然だったかなと思います。

―さきほど、公園で瞑想していた、と話されていましたが、あまり人目を気にしない方ですか?

ですかね!笑)幼いころから人目を気にするタイプではなかったですし、中学高校とアメリカで過ごしたことも個性が強まるきっかけになったかと思います!

―アメリカには5年ほどいらっしゃったようですが、アメリカ生活で、日本では経験できなかったと思われることなどありますか?

自分が住んでいたのはアメリカ南部の田舎で、当時はアジア人を見るのが初めてのような人たちが大多数を占める地域だったのですが、初めて日本との違いを強烈に感じたのは、才能をほめることだったと思います。というのも、日本の小学校では平等が重視されるあまり、何かで賞を取っても皆の前で発表されることはなく、校長室でひっそり賞状を渡される感じでした。しかし、アメリカではあからさまに皆の前でほめられ、表彰もされます。「あなたには、他の人にはない絵の才能がある」と皆の前で大々的に知らされる、そんな感じです…。

―わかりやすいですよね。おそらく、それによって見ている人たちに、そこまで何か嫉妬のような複雑な感情は起こらないのかなと想像できます。

まさにそうです。アメリカでは自分に自信のある人が多いと思います。客観的に見ると根拠のない自信、というか「こういうこと自慢する?!笑)」ということも平気で自慢しています笑)自分で自分のことをほめることも多く、自己肯定感が半端ないですね笑)だから、何かで他人がほめられていても、そこまでの複雑な感情は持たないのだと思います。

―なるほど。人とは違う個性を尊重する環境で思春期を過ごされたからこそ、今の戸谷さんの自由さがあるんでしょうか。

もちろん、アメリカ生活の影響もありますが、もし私が自由に見えるのでしたら、それはまさに「真理が人を自由にする(※)」の聖句通りになったからだと思っています!これが神様に出会ってから一番の自分の変化だと思います。

(※)「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」(ヨハネによる福音書8章31~32節より)

―うまくまとめていただきました笑)! では、アメリカ滞在時代に、今思えば神様の働きかもと思われる印象的なエピソードなどありますか?

アメリカ人は兄弟仲も良く、家族をとても大事にしています。その姿を見ながら特に感じていたこととして、弟との仲の悪さでした…笑)家族の中でも特に仲が悪く、いつもケンカばかり…。でも、高校生の時に夢を見ました。とってもきれいな女の人が「弟と仲良くしないと死ぬよ、弟に殺されるかもよ」と衝撃的なことを言うという…。結果、弟を通して神様に出会い、(自分の)霊が生きることになったので、仲が悪いままの関係でいたら教会の人たちにも会えなかったと思うと、不思議な夢を見たな、と思っています。

―それは、また面白い夢ですね。弟さんが先に教会に通うようになっていたからこそ、仲良くなれるきっかけになって、これも神様の粋な計らいのように感じます。

本当にそうだと思います笑)

―アーティストとしての一面についてもお聞きしますね。先ほど、学生時代にドイツへ留学されたとおっしゃっていましたが、ドイツへはどのような理由で?

ドイツへは仲間を探しに行ったんです。人生の目的を探す中で、同じ考えを持っているコミュニティでアート制作をしたいと思っていました。ドイツでは考えが合う人同士で、建築やインテリア、デザインなどをやっていることが多いです。ギャラリーもただ絵や作品を売るためというよりは考えを共有し、その考えを広める場といったサロン的な位置づけが根強いのを感じます。生活の一部として芸術があるので、何か特別で手の届かないものというよりは、生活とは切っても切り離せない、思いのこもったものとしての芸術。そういう芸術に触れ、同じ考えを持つ仲間と創作したかったのがドイツに行った理由です。美大在学中にドイツへ留学しましたが、アメリカから帰国して通った日本の美大では、日本画を専攻していました。そしてドイツに行き、留学後にはさらに自由な感性で日本画と向き合うことになりました。

―日本画専攻だったんですね!しかも、自由な感性で日本画に向き合うという…。少し珍しいのかなと思うのですが。

そうですね。そもそも日本画専攻のきっかけは、アメリカの美術館で見た浮世絵から感じられる、独特の感性に興味を持ったからです。ただ、日本画は目に見える美しいものを高い技術で表現する傾向があるので、ある意味ルールが多いと個人的には思います。が、教授が私のことをわかってくださって、岩絵具(※)さえ使えばいい、と自由な提案をしてくださりのびのび制作にはげみ、大学院にも進みました。

(※)岩絵具(いわえのぐ):日本画を描くときに伝統的に用いられる顔料。

―のびのびと制作するにも、何を表現するのか、という点で悩みそうですが。

その通りです。アートとは技術を用いて物事をフレーミングしたり、主張することと考えていたので何を作品とすべきか慎重に考えました。特別に美しい何かではなく、日常で目に見える物事、自分の行いそのものを作品の枠に収めました。すべての事に価値があるというコンセプトを大事にしたかったんです。

―そのような制作過程を経られていたからこそ、今ではすべてに遍在なさる神様がスッとはいってきそうですね。

はい。聖書に出合ってから芸術も神様に栄光を帰すために、という目的がはっきりして、個人的にスッキリしました。作品も誰のために作っているのかというと、おおまかにはブルジョワジーか大衆かの二極化だと思いますが、自分は大衆に対してだと、かつては思っていました。でも何か納得できない気持ちもあったのですが、「神様のため」となってスッキリです。

―制作に根本の意味が見いだせたような感じですかね?

そうですね。やる価値があると思えてこそ制作への原動力も生まれると思うのですが、神様という目的があるとゆるがずにこれからも制作し続けることができると思います。自分だけではなく、人それぞれに神様との関係があるので、その人を通してしか成せない表現から、知ることのできる神様の姿があると思います。

―今後の目標にもつながりますね。

はい。新たな観点で自分の個性を通して主の姿を証していきたいと思います。

―最後に、今回のメインカットの撮影場所に名古屋駅のホームを選ばれました。その思いをお聞かせください。

大学の時も、北海道から引っ越してきた今も、名古屋という場所での経験で得るべきものを得ている実感があるので、名古屋を象徴する場所…ということで名古屋駅というのがあります。また、自分としては、ホームが何か期待する気持ちで待つ場所という意味をもちます。神様に出会う前、留学時代に『ゴドーを待ちながら』という戯曲に接する機会がありました。その劇中で描かれる、期待して何かを待ち続けているという感覚が、それ以降ずっと自分の中に強く残りました。何を待っていたのか、神様に出会った今では答えを得ることになりましたが、答えを探していた自分、そして見つけた自分が交差する場所というのが、まさにホームです。また、創作活動の目的が変わった今では、過去と現在の自分の対比を象徴する場所、過去の自分、そしてこれからの自分をつなぐ場所ともいえるかなと思います。

貴重なお話をありがとうございました。「芸術を生業にしていいんだ」とアメリカ時代に背中を押してもらったと話していた戸谷さん。今では、神様に出会う前、芸術をしてきたすべてが神様を知った今の自分につながっているのを感じると話してくれました。今後、教会でも戸谷さんのアートを通して存分に主を証してください!期待し、応援しています!!


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