主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。
今回のインタビューでは、控えめで多くを語らなくても、感じたこと一つを確実に自分のものにすることへの強さを感じる機会になりました。たとえ時間がかかったように思えても、時に合わせて訪れる、はっきりとした一つの実感が大きな変化を生むのだと。
File.044 Saeさん(会社員・30代)
神様との経緯が積み重なって
その人の個性になってゆくと思います。
―Saeさん、お久しぶりです。金沢で初めてお会いしてから、もう10年くらい経つんですね~。あの頃はまだ若かった…笑)
はい笑)大学2年生の頃に、お会いしましたね。自分よりも先に聖書を学んでいた友人からの紹介でした。学部もサークルも一緒だった彼女を通して、初めてお会いしました。
―「聖書を学び直さないといけない」と思われていた頃だったようですね。
はい。父親が教会に通っていた関係で、幼いころから当たり前のこととして、日曜日には教会に行って礼拝にも参加していたのですが…、大学入学前あたりから「自分には軸がないな」と悩んでいたんです。幼い頃から高校生までは、父親について教会に通っていただけで、信仰はなかったなと正直に思います。でも、当時は教会に通う年下の女の子や、教会学校の女性の先生が素敵な人で、信仰のある人は軸があるのだなと尊敬していました。

―なるほど。その背景ならば、聖書を学ぶことに抵抗はないわけですね。しかも、愛知県のご出身で大学は金沢の方に進学されたので、聖書を学ぼうにも通っていた教会は物理的に遠かったわけで。
そうですね。なので、友人から紹介された時に「私も学んでみたい!」となりました。(編集部長ロミに)初めてお会いして、そのことを伝えると「話がはやいっ!」と言われたのをはっきり覚えています笑)
―あら。そんなことを言っていたとは…笑)。そもそもキリスト教や聖書の素地があって聖書を学び直す人は、日本人の中でもかなり少数派だと思いますので、とても貴重な出会いで驚いたと同時に、とてもうれしかったのを覚えています。神様はやはりいるな、と笑)。さて、さきほどご自分には信仰はなかったとおっしゃっていましたが、もう少し具体的に表現するとどういうお気持ちだったんでしょうか?
そうですね…。信仰のある人たちが信じている神様については理解できるというか、神様はいらっしゃるんだな、とはわかるんですが、自分に直接働きかける神様がわからなかったんです。神様の働きを自分自身が実感できなかった。なので、教会に行っても何も得られる感覚がなく苦しくて、でも行かなければ罪悪感をおぼえるといった感じで…。中学生まではイースターやクリスマスといった大きなイベントを中心に参加し、これではいけないかもと、高校では日曜日に練習がない部活に入って主日礼拝に行けるようにしましたが、変化もなく…。ここは物理的に離れて行きようがない、行かなくてもよい状況にしようと、大学は実家から離れた場所にしました。

―なんと…。神様を信じたいのに、実感がわかないのはなかなか苦しかったのではと思います。
教会には同世代の友人も何人かいたので、引っ張られる要因があったから(教会に)行く、という感じでしたね。
―聖書を学び直してみて、どう感じられましたか?
正直なところ、(イエス様の)十字架によって救われたことや聖書の有名なエピソードをいくつか知っているぐらいだったので、しっかり学ぶことができて最初から衝撃的でした笑)。
―神様を実感できるようになったということでしょうか?
うーん、そうですね。聖書の話を一通り学んでから主日礼拝にも参加するようになりましたが、とにかく伝えられる御言葉を聞いたときに毎回感動がありました。

―なるほど。御言葉から神様を感じられたということでしょうか?
そうですね。でも、信仰に関しては、神様との経緯が一つずつ重なっていって持てるようになったと思います。そして特に教会で行なっているサッカーに参加するようになって本当に自分自身が変化できたと思います。
―おお。実践ですね。サッカーをやることになったきっかけみたいなものはありましたか?
はい。まず、金沢で教会(北陸主栄光教会)に通うようになり、就職で愛知県に戻って、主の栄光教会に通うようになりましたが、職場が実家の近くだったこともあり、実家に戻ることになりました。教会には週末にしか来ることができず、少しもどかしいと思っていましたが、職場もいい環境で、いつかは教会の近くに住みたいな、と思ってもなかなかうまくいかない日々を過ごしていました。コロナ禍もあって引っ越しをするきっかけがなかったというのもあります。なかなか決心もつかず、月日が流れてゆき…。神様の願われる方向を掴みたいけどよくわからない…と思っていたときに、転機がきました。

―くすぶっていた自分への転機といえば! 神様からのメッセージがありましたか?日曜日の説教内容の一言とか…!
まさに笑)!新約聖書に初めの愛を取り戻しなさい、という内容の箇所(※)がありますが、まさにその初めの愛に関する内容を聞き、自然聖殿である ウォルミョンドン へ行くことに。自分にとっては通っていた父親の所属する教会からCGM(キリスト教福音宣教会)に通うようになって初めての主日礼拝が8月だったのですが、丸6年経ったアニバーサリーの月に行くことになりました。
※エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。(中略)しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。(中略)勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。「ヨハネの黙示録2章:1~7節」
―そこでやはり感動が…?!
笑)はい!その旅では、神様が最初から最後まで様々、細かいところまでよくして下さった感動がたくさんあったのですが、一番は、スポーツへの感動を受けたことが自分にとって大きかったです。ウォルミョンドンにある湖で、日本各地から集まった人たちとビーチバレーをする機会がありました。それが、もう、本~当に楽しかったんです!!!そこで、スポーツはとっっても良いものだという感動があって、「日本へ帰ってからもスポーツを通して(神様に)栄光を帰します!」とお祈りして帰国しました。

―おお。本当に楽しかったんですね。本~当に伝わってきます笑)。その後の行動が物語っていますね。
笑)はい。名古屋に戻って週末は必ずサッカーに参加するようになって、まさに天に対する初めの愛を取り戻すようになりました。サッカーは「人生の縮図だ」と教わったんですが、まさに自分の生活や性格など自分自身の点検がプレーを通してできるようになりました。
―自分自身の点検を通して、そして信仰を持ったことで変化した自分を感じることはありますか?
もともと人目を気にするところがありましたが、神様との経緯が増える中で、気にすることはあっても人の目よりは神様の目をより意識するようになりました。そして、性格的に人に合わせる方がより得意かなと思っているのですが、合わせすぎるというよりは周りにもっと関心を持とうと努力中です。自分のことだけではなく、相手のこと、人生などもサッカーを通してわかりやすく知ることができるんです。神様のもとでは、個性について考える機会がありますが、私の場合、サッカーを通して個性が見えてきたこともあります。

―お!どんな個性ですか?
…。「透明」でしょうか…。いるかいないか分からないみたいな、マイナスなイメージではなくて笑)! 神様の御心を成すために自分があると思っているので、御心を成すために邪魔となる「自分」は必要ないと思っています。神様との経緯が積み重なってこそ自分の個性になってゆくのかな、と思います。具体的には、サッカーではディフェンスをやることが多いのですが、そのポジションを通して生活や信仰生活全般においてディフェンスのような役割も個性かなと思っています。教会に新しく通うようになった人たちのサポートやフォローをしたり、礼拝が滞りなく進行され天にしっかりと捧げられるように受付やメインホールでの誘導などの役割を担ったりしています。
―なるほど。素敵ですね。鮮やかな透明という表現が伝わるかわかりませんが、色が全くないというわけではなくて、透明感のある素敵な色を放っているイメージです。また、穴がないように細部に気を配ってディフェンスする=守る役割を担う個性ですね。

―最後に、今後の目標などあればお聞かせください。
6年前、初めて参加した主日礼拝の主題が「体の姿勢と信仰の姿勢、心と考えと行いの姿勢」というものでした。サッカーを通して、今も自分の信仰の姿勢を確認しています。やっているつもりの自分に気づかされるなど、その時その時の心や考えの姿勢を確認しようと努力中です。これからも御言葉とスポーツの実践を通して信仰の姿勢を確認して、信仰の原点に立ち戻りながら、まずは自分を育てていきたいと思っています。
―貴重なお話をありがとうございました!言葉では説明できない感動を受けることも、信仰を語る上では欠かせないことを改めて感じる時間でした。まず先に神様を思うその姿勢は、まさに信仰の姿勢が整ったスマートな人!まずは自分を育てたいとする堅実な姿勢を私も見習いつつ、これからも応援しています!


人を気にするあまり、ディフェンスの距離を詰められておらず、ディフェンスの効果が発揮できていなことをサッカーのプレーを通して知り、生活の中で神様との距離感を深く感じる機会になったという。写真はCGM(キリスト教福音宣教会)主催のサッカー大会の一幕。

