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はじめに 続き ~ペトロと東海三武将との重なり~

前回は、戦国の三武将の出身地東海地域で祈ることが、

自分にとっては聖書に対する隔たりをなくすひとつの助けになるかもしれない、

このように思い浮かんだことについてお話しました。

しかし、もう少し聖書とのつながりがほしいなとも思い、

そこで私は、イエス様の弟子ペトロについて見てみることにしました。

今回はペトロのエピソードと、三武将の経緯を重ねてたどってみます。

ーペトロのエピソードー

今でこそ使徒として世界中で広く知られているペトロですが、

彼はイエス様を3度否定したという苦い経験をしています。

イエス様を否定した時、”激しく泣いた”と記述されているので、

ペトロにとってこの失敗は悔やんでも悔み切れない、

大変つらいものだったことがうかがわれます。

(マタイ26章、マルコ14章、ルカ22章、ヨハネ18章)

しかし失敗はそのまま失敗で終わることはありませんでした。

ペトロは後に、3度イエス様に信仰的な愛を伝え、

否定したという“その失敗”を克服しました。

さらに印象的なのは、彼が失敗を克服した「シチュエーション」です。

イエス様を否定した時、ペトロは炭火に当たっていました。

もしかしたら彼にとって、”炭火の傍”は、

つらい気持ちを呼び起こすものになっていたのでは、

そのようにペトロの心情が察せられます。

しかし、”炭火の傍”というまさにその状況で、

ペトロはイエス様に信仰的な愛を伝え、失敗を克服しました。(ヨハネ21章)

ー三武将とペトロのエピソードが重なるー

私はこうしたペトロのエピソードを見る中で三武将の出身地である東海地域が、

ペトロにとっての “炭火の傍” のように感じられました。

戦国の三武将は、当初キリスト教を容認しましたが、

その目的は貿易や政策的な実利であり、内心では聖書の教えに距離を置いていました。

結果的に、戦国末から江戸時代、日本全体が三武将の本心に沿って、

キリスト教を禁止する方向へ向かいました。

つまり、東海地域は日本において、イエス様(聖書)と距離を置き、否定したことを

象徴する場所のように感じられました。

ならば、そのような東海地域で神様に出会った私が、

神様・イエス様に信仰的な愛を伝えてみることは、

ペトロがイエス様を3度否定した “その状況” で、

イエス様に再び信仰的な愛を伝えたことと重なるものがあり、意義深いのではと思いました。

また、日本各地にある神様・イエス様と人々との経緯が深い場所に、東海地域から赴いて、

神様・イエス様に信仰的な愛を伝えてみるのも良いのではと思いました。

こうして私は東海地域や全国各地を、散策・旅し、祈りをささげることにしました。

歴史の流れの中でもし今もまだ、

江戸時代、聖書が禁止された時代の傷が残っているとするならば、

そうした歴史の影響を受けているかもしれない自分にとって、

聖書に対する距離・隔たりがなくなるきっかけになるといいなと思いました。

前置きが長くなってしまいましたが、

ゆるりとしたペースで、私の思うところ、感じたことを綴っていこうと思います。

ブロガー now here

自然を愛し、登山経験も豊富なナチュラル派。普段から山でも街でもはっきり認識できるビビッドカラーを着こなす。時折、読書するよう地図を味わうマップ女史は、街中でも思わず登山用の装備感あふれる地図を取り出し、仲間に数センチ引かれてしまったという伝説も笑)

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