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インタビュー連載コラム_vol.7「SMART」な人

ご自宅から車で30分ほどの渥美半島の先端、伊良湖岬にて。

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

今回は、主の栄光教会のある愛知県名古屋市中区から車で2時間ほど離れた田原市のご自宅にお伺いししてお話をお聞きしました。

File.007 鈴木眞知子さん(60代・介護職)

10年、20年、それ以上の単位で見てこそ
神様の本当の働きがわかると思うんです。


―教会に通うようになられたのは、先に教会に通われていた娘さんに聖書の話をすすめられてからとお聞きしました。

はい。2009年に大阪に住んでいる娘が通っている教会の牧師さんから聖書を学ぶようになりました。私はもともと生まれた時から別の宗教だったのですが、大人になるにつれて疑問を持つようになっていたので、聖書を通して話される話には納得がいきました。

―ちなみに前の宗教に関しては、どのような疑問が生じたんですか?

実家の近くの場所にずっと通っていて結婚してからも時々行っていましたが、結婚を機に場所を変えて通ったこともありました。同じ神様の言葉ならどこで聞いても同じはずだと思ったので。でも、ある会長から場所を変えると「理」が違うと言われたことがありました。その時に、戸惑いましたね。場所を変えて真理に違いが生じるとは思いもしなかったので。

―もちろん、このことだけが宗教を変えられたきっかけではないとは思いますが、こうした疑問が生じる中で、娘さんの教会で話を聞くようになったわけですね。

はい。大阪とここ(田原市)では遠いので、パソコンの無料通話ソフトを通して学びました。当初はパソコンの使い方もよく分からなかったですが、あたふたしていると「はい、まずはコンセントをいれるところからやりましょう」と丁寧に一つひとつ牧師さんが優しく教えてくださいました笑)

―そうして学ばれてから、教会に行かれた時の感想はいかがでしたか?

最初、大阪の教会に行ったんですが、若い人が多くて自分は場違いじゃないかと戸惑いもありましたが、それ以上に若い人たちの姿が清楚でピュアな感じで優しくて、とにかく素敵でした。それも、御言葉を聞いて変化しているからなんだと、御言葉の力が感じられました。その印象があったので、ここなら大丈夫と思えましたし、安心しましたね。だから名古屋の主の栄光教会に行くのも、最初は恐縮していて仕事のシフトもあり、礼拝に行きにくいと思ったこともありましたが、行ってみると、いい雰囲気。みんな優しいし、接し方がよくてびっくりしたのを覚えています。いまどきこんな若い人たちがいるのかと。実は、娘が教会に通うようになったときに、忙しそうな様子を見ながら多少心配になった時も正直ありましたが、何より娘は教会に通うようになって大きく変わったのを見ていました。もちろん、よく変わったのを。だから、ここなら大丈夫と、行って直接見ればわかりましたね。

―大阪の教会と名古屋の教会では違いはありましたか?

各教会の担当牧師さんは違う方なのですが、どこで聞いても同じ御言葉(説教)!というのに感動しました。全世界どこの教会で聞いても同じですから。皆が同じものを聞ける喜びは大きかったです。また、どこの教会に行ってもウェルカムですし、教会に通っている皆さんが立派だと感動しました。また、ここ(田原市)から主の栄光教会までは車で2時間かかるわけですが、その過程すべてを献金として神様が受け取ってくださる、と牧師さんからお聞きしてさらに感動しましたね。

―毎週日曜日に往復4時間かけて礼拝に参加されるのも大変だと思われますが、その原動力は?

とにかく御言葉が聞きたいという思いがあって。毎週の主日礼拝の説教を通して、モヤモヤしている心が解ける感覚があるんです。神様の言葉を聞いている!という感覚があり、何度も聞くうちに安心感を持つようになりました。

―神様が言葉を通して共にしてくださっている安心感ですかね?

そうですね。40代のころ、人生何のために生きているのかと思った時に、家族のため、仕事のため…そして子育てもあるし、といろいろ考えましたが答えがない。そして世の中のさまざまなことに心惑わされたり気持ちが揺れ動いたりすることもありましたが、御言葉を聞くことでそれがなくなりました。神様がちゃんと見てくださっているから、という大きな気持ちを持てるようになりました。

―40代のころというと、ご自宅でされていたお店を辞められたあたりでしょうか?

はい。主人が大きな事故をきっかけに銀行員を辞め、すし職人になり、自宅を改造してすし屋を19年間やっていましたが、病気がきっかけでそれも辞めるようになったあたりですね。主人は銀行員になってすぐ、大きな交通事故で左の肺がつぶれて3日間意識もなく、10カ月入院したことがありました。まさに生死の境をさまよったんですね。また病気してからいろんなものにすがるようになって、なにやら怪しげな感じですが、九州まで70万円を払って“パワー”というものをもらいに行ったこともあります。主人が何かにすがろうとするたびに「神様だったら、いくら払うからどうとかではなくて平等に解決してくださるのに」と言ったりもしました。しかもその“パワー”の代表の方が「このパワーもイエス様の力には及ばない」と言っていたらしいです笑)。それでも主人は頑なでしたが、我が家に教会の牧師さんが来てくださって、先の主人の事故や病気の話をしたことがありました。その時、「神様に本当に守られていますね」と言われ、本人も感動を受けたようです。

―ご主人も教会に通われていますよね?

はい。牧師さんと話す中で、家族の中で違う宗教というのはよくないと思っていたと主人も教会に通うように。そして2年ほど前に息子夫婦も教会に通うようになりましたが、息子の姿が主人には大きいみたいです。毎週日曜日の礼拝の後に、大阪にいる娘とパソコンをつないで家族皆でお祈りしていますが、その時に皆の前で祈る息子の姿やその祈りの内容がすごいと思っているみたいで。いい刺激を受けていますね。

―では、現在はご家族皆が信仰を持たれていると!ハレルヤです。これまでの経緯をお聞きして、教会に通われる前からのさまざまな神様の働きもあって、ご家族もそれぞれの時にあわせて神様に出会うようになられたんですね。

そうですね。10年、20年それ以上の長い年月の単位で見てこそ神様の本当の働きが分かると思います。ああ、ここでこのようにつながってくるんだな、と。

―もともと信仰というものをお持ちだったからこそ、神様との出会いがより深くなられているのを感じます。今後の信仰生活で挑戦されたいことなどおありになったら最後にお聞かせください。

実は、自分が今の信仰に対してもう一歩踏み込めきれないものがあると思っていました。なにかこう、そこまで熱いものがないかなと。でもそれは自分が神様をもっとちゃんと認めて差し上げられていないのだと気づいたんです。もっと深く信じて差し上げたいと。このことに挑戦していきたいと今、思っています。悔いのないように生きたいので。また、世の中の飛び交う情報やあれこれに惑わされて右往左往している人たちが多いと思いますが、私が確信したこの御言葉があれば解決するのにな…と思うので、周りの人がもっとこの御言葉を知ることができるように自分にできることをやっていきたいと思っています。

―貴重な人生のお話をありがとうございました!

春の訪れを告げる、渥美半島の風物詩である菜の花畑で。長男の孝典さんと談笑。
ご自宅での取材後にいただいた、孝典さんの奥様あゆみさんお手製のレモンケーキ。絶品でした。
教会メンバーで行うボランティア活動での一コマ。「人のために役に立てることがあったら」という気持ちでごみ拾いや施設訪問などのボランティアを定期的に行っている。
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