
本文
<マタイによる福音書19章16~17節>
すると、一人の人がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ善いことについて、私に尋ねるのか。善い方はおひとりである。命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
<ヨハネによる福音書15章4節>
私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。(聖書協会共同訳)
全能で永遠なる神様を信じて生きることが善で、そのほかは肉に属した善、世の中に属した善です。
永遠なる神様を信じ、その御言葉どおりに行なって生きたなら、肉体は一生貴重に使われ、霊にも永遠な義として残ります。
救いは神様がただ救い人を通して行なわれて、成すようになります。
生きている人と一体になってこそ、生きている人です。
生きている人のエキス、すなわち御言葉を吸い込んでこそ、生きている人です。
だから、いつも一体になって、その御心を成さなければなりません。
神様は義を秤にかけて、天の側の基準に満たなければ裂いてしまいます。
神様は裂いてご覧になり、各自行なった義と功績どおりに救いも与えるので、私たちはもっと行わなければなりません。
考えがすべての生を左右しますが、人間は完全でないから、御言葉を通して神様、聖霊、御子の考え、御心を学び、一体になるようにして行なうべきです。
各自祈れば悟るようにしてくださいます。
信仰の成功が生の成功、経済の成功です。
よくできる人に従ってやってこそよくできるようになり、成功した人について行ってこそ成功するように、成功した歴史について行ってこそ成功するのです。