はじめに
日本に聖書の教えがもたらされてから数百年、全国各地には聖書の神様と人々との経緯が沢山あります。
私が住んでいる東海地域にも、思いのほか、神様と人々との経緯があります。
身近な所から、少し遠くの場所まで、経緯ある場所を巡り、昔、その場所で人々が抱いた思い、神様が抱いた思いに心を寄せながら、自分もまた神様に思いを伝える散策・旅をしています。
今まで訪れた場所、これから訪れる場所について綴っていこうと思います。
私がこのような散策をするようになったきっかけについて少しお伝えします。
きっかけ
<聖書に馴染みがなかった▷日本と聖書の歴史に目を向ける>
私は聖書を全く馴染みがないところから読み始めたため、
しばらくは、内容がとても堅苦しく感じられ、読むのがツラくなっていました。
文化的にも遠さを感じていました。一方では、神様のことをもっと知りたいという思いもあり、どうしたらいいのだろうかと考えていました。
そしてある時ふと、日本と聖書の歴史に目を向けてみました。
日本に聖書の教えが伝わってから数百年、その間、聖書の教えが禁止された時代もありました。
もし、禁止された時代がなく聖書の教えが広がっていたら、現代の日本で聖書を読んでいる私も、隔たりをそこまでは感じていなかったかもしれないな、と思いました。
また聖書が禁止された江戸時代について調べてみると、とても厳しい拷問が行われていました。
今はもう随分、時が経ちましたが、
もしかしたら、
歴史の流れの中で本来、癒されて来るべき当時の”傷”が、今もまだ残っていて、それで、そのような日本で、現代に聖書を読んでいる私は、聖書に対して、隔たりを感じているということもあるかもしれない、
そんなふうにも思いました。
<残っているかもしれない”傷“を克服するには>
ー東海地域で祈ることはどうかー
歴史の流れの中で、癒されて来るべき”傷”が、もし今もまだ残っているとしたら、私にとって、できることは何かあるのかな、と考える中、自分が今いる東海地域で祈ることも、大事なことなのではと思いました。
東海地域は、日本に初めて聖書が伝わった時代、力を持っていた信長・秀吉・家康の出身地です。
彼らの聖書に対する方針が、日本全体の聖書に対する方針となっていきました。
日本は、一度は聖書の教えを認めながらも、最終的には武将たちの本心、否定する方向へ向かいました。
こうした歴史から、武将たちの出身地である東海地域で祈ることは、歴史の”傷”が残っているとするなら、その癒しにつながるのでは、と思いました。
しかし、もう少し聖書とのつながりがほしいなとも思いました。
そこで、聖書に出てくるイエス様の弟子、ペテロのエピソードを見てみました。
次回に続く

ブロガー now here
自然を愛し、登山経験も豊富なナチュラル派。普段から山でも街でもはっきり認識できるビビッドカラーを着こなす。時折、読書するよう地図を味わうマップ女史は、街中でも思わず登山用の装備感あふれる地図を取り出し、仲間に数センチ引かれてしまったという伝説も笑)

