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インタビュー連載コラム_vol.9「SMART」な人

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

今回は、葉桜の葉が風で舞って幻想的な美しさを醸していた、星が丘での取材となりました。

File.009 大塚晶子さん(30代・社会人)

成功した祈りはほんのひと握り。
九割五分はもがきの祈りです。


―大学生になり、いわゆる大学デビューということで、バイトや遊びやさまざま忙しくされていた1年生を経て、2年生になった頃に聖書を学ぶようになったとか。

はい。聖書を学ぶ前に、聖書を学んでいる人たちと一緒にバレーボールをする機会があったのですが、お酒もたばこもなしで、こんなに楽しいんだ!と感動したのを覚えています。

―それから聖書を学ぶようになって、どう感じられましたか?

実は、学び始めて礼拝に参加するようになってから4年ぐらいよくわかっていなかったですね笑)「御言葉の通りに生きる」という言葉も「ふぅ~ん。そういうこともあるのだな」という感じで…笑)最初、聖書を学ぶきっかけを作ってくださった先輩がいろんな話をしながら聖書の話もたくさんしてくださったと思うんですが、その時に自分の印象に残ったのは「(人生を成功させるのは)早起きだ」ってことでした笑)

―笑)私もその先輩を存じ上げていますが、早起きのこと以外にたくさん話をされていた姿が思い浮かびますね笑)大塚さんの感想を聞いて、そこっ?!ってツッコミを入れる姿が思い浮かびますよ笑)

ですよね…。でも、人生は成功させたいなと思っていたその時の私に残ったのは「早起き」だったんですよ!そこから、大学の別の先輩が様々にフォローしてくださって、無事に聖書を学んではいきましたが、よくわかっていなかった…。

―では、よくわかっていない4年間、教会に通っていたのはどんなモチベーションで?

恵みと若さと仲間の支えですかね笑)あとよくわかっていないながらも、神様は願いをかなえてくださるなという思いはありましたよ。実は姉の影響もあって、アイドルやバンドのコンサートに中学生時代からよく行っていたんですが、その経験からコンサートを作る人になりたい、音響をやりたいという夢があったんです。それが、教会に通うようになって、教会のメンバーと多くの舞台を裏方として作りました。またとある先輩から「出演者もやってこそ出演者の気持ちもわかる裏方ができる」と言われて出演者としても参加したり。そのようにして、神様が育ててくださったなと感じています。

―なるほど!若き日々、本当の意味で信仰を持つまでには様々な経験も大事ですよね。しかし、大塚さんといえば、お祈りをたくさん且つ深くされている人のイメージなので、そんな時期があったのは意外でしたね。変化するきっかけはあったんですか?

そのよくわかっていない4年ほど経った頃、社会人になり保険会社に勤めて2年目でしたが、御言葉を聞いても祈ってもつらいな、と思っていました。恵みもないし、祈りも聞かれている感じもしないし、とにかく苦しいと感じていました。そんななか、もう信仰も捨てようかなと思っていた時に、悔い改めに関する説教が伝えられるようになったんです。「悔い改めなさい」と。その話を聞きながら、今感じている苦痛は、自分の罪によるものなんだなと感じました。自分中心に生きてきたと気づいたときに、ああ、神様のことも悟っていなかったのだなとわかるようになりました。

―悔い改めの大きな機会があったんですね。悔い改めていく中で大きな変化があったということですかね?

はい。徹底的に自分のことを悔い改めていくなかで、神様に対しては本音が言えるようになりました。私は自分がいわゆる典型的な日本人だと思っていて、表面的にはいい人だけれど、本音を言えないし、人に合わせて生きてきたタイプです。だから、悔い改めの祈りを通じて、祈りの味を知り、人にはまだ本音を全部言えない部分もありますが、神様には本音を言えるようになった。これは大きな変化ですね。

―祈りが聞かれないと思っていたところから、祈りの味を知るようになって起こった“奇跡”はありますか?

「神様の心を引き留める祈りをしなさい」という説教を聞いたときに、思いついたことが家族のことでした。そこで、家族の中でも、特に父親のことを祈ったときにわかりやすい、神様の働きかけがありました。1日に最低1~2箱はたばこを吸うヘビースモーカーの父が心配で、父のために悔い改めて祈ってから1週間後に母親から「お父さん、たばこやめたのよ」と聞いてびっくり。詳しく状況を聞いてみると、父が風邪をひいて咳がひどくなり、それでもたばこを吸っていたら息もしづらくもう耐えられないほどになって、仕事を決して休んだことのない父が会社を休んで病院に行くと、医師からこのままでは肺気腫になると言われたそうです。そしてちょうどその時に、孫が生まれるというニュースが飛び込んできたんですね。姉に子供ができて、初孫でした。私たち姉妹が生まれる時もやめると言ってやめなかったたばこでしたが、孫には勝てないということで…笑)この二つの出来事が重なってきっぱりとたばこをやめたわけですが、自分が祈って1週間後のことでした。その他、父親が心筋梗塞や脳梗塞で倒れましたが、切実に祈って大事に至らなかったことなどもあります。

―お父様は幸せ者ですね。いつか祈りによって働かれた神様の働きを知ることができますように…!ほかにはありますか?祈りの“奇跡”。

そうですね…。私は名古屋で生まれ育って、名古屋でしばらく暮らしていましたが、2017年から仕事の関係で九州や北陸に行って、2019年にふたたび名古屋の地に戻ってきました。その時、何か名古屋のためにできることはないだろうかと思ったときに、愛知県が交通事故件数16年連続ワースト1位というニュースを目にしました。そこで、これだ!と思い、このことについて祈りました。そうしたら…、翌年の2020年1月に、17年目にしてワースト1位を脱却したというニュースが!うれしかったですね笑)

―祈りは聞かれますね。大塚さんがご自身のことをしっかり祈られていて、その上に家族や周りのこと、社会のことなどを真実に祈られているからこそなのだと感じます。

でも成功したと思える祈りはほんのひと握りですよ。ほとんど、九割五分はもがきの祈りですね。

―現在、小学校の教員になられて3年目ですが、教育分野の仕事に就かれたのはどういうきっかけでしたか?

進路について祈っている時、説教の中で出てきた話が答えだと思いました。「1、人生は一生かけて自分一人を作ることだ。2、人はもって生まれる。」というもの。大学職員をしていた経験から教育現場には魅力ややりがいを感じていて、自分に合っているなと思っていたので、最初は養護教員になろうと資格の勉強を3~4年続けていました。その中で、アフタースクールの教員をやっていましたが、資格を取ってみたらというアドバイスもあって、小学校の教員の資格を取ることになったんです。私は自分のできる範囲での教育現場と思って養護教員を目指していたわけですが、結果的には小学校の教員に。現在は、任せられることも増えて毎日精一杯の日々です。

―自分の思いと神様の思いは異なることって多いですよね。でも大塚さんが、思っている以上にもっと理想的な道を神様が用意してくださっているのだと思います。最後に、大塚さんが信仰をもって生きていてよかったと思えることをお聞かせください。

信仰をもって生きることで自分らしくなったなと思いますね。本音を言えるようになったので。あと、さきほど成功した祈りはほんのひと握りと話しましたが、祈りは何があってもやめることはないだろうなと思っています。しっかり祈れようが祈れまいが、もう自分の中で、当然やるものなんですね。祈りがそういう存在になったのは、信仰をもっていきているからこそと言えるかなと思います。

―祈りは呼吸だとも言われますが、まさに生きることは祈ること、祈ることは生きることを肌で感じました。これからも祈りで道を切り拓いていかれることと思います!あ、よろしかったら私のことも祈ってください笑)個別に連絡します!笑)

祈りの味を知って、名古屋の地を離れ働いていた熊本の地での思い出の一幕。
現在は小学校の教員として、祈りながら教育現場で奮闘する日々だ。現場では、声のかけ方や接し方が難しいと感じるという。写真は生徒からもらった手紙。
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