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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.11

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

今回は、若くして病に倒れるも信仰を熱く保ち続けて完治され、神様の愛を深く実感できるようになったメンバーにお話を聞きました。

File.011 Miraさん(40代・社会人)

聖書通りに性格を徹底的に直していった先に、
「愛」というものが何かわかりました。


―高校生の時に、聖書を学び始めたとお聞きしました。

はい。私は4人兄妹の末っ子ですが、一番上の姉が教会に通っていて、姉から勧められたのがきっかけですね。

―どのように勧められたのですか?

高校に入って人間関係で悩んでいたんですが、その話を姉にしたときに「それなら聖書で解かれるよ」と聞いて「そうなんだ!」と高校2年生の夏休みから学ぶようになり、当時東京に住んでいた姉の教会に行き、冬休みや春休みなどまとまった休み期間で学んでいました。そうして、東京の大学に進学してから礼拝に参加するようになりました。

―確か、大学に進学された時に、病に倒れたとお聞きしましたが。

はい。礼拝に参加してから程なくして、体が鉛のように重くなってほぼ寝たきりの生活に。しばらくして大学にも通えなくなり、地元に戻ることになりました。

―その当時は体の不調の原因がわからなかったとお聞きしましたが。

そうですね。あらゆる病気の可能性を考えて、さまざまな科で診ていただきましたが、原因がわからなかったんです。それから不調の原因の一つが甲状腺の病気だとわかるまでに、7年ほどかかりました。

―その7年の間は、ほぼ寝たきりだったと…?

そうですね。一部の人にしか自分の状況を伝えておらず、本当に動けるときだけ大学や教会に行ったり、教会のメンバーに会えることもありましたが、実はほぼ寝たきりのような状態でした。お風呂に入るのも壁に寄りかかったり、杖をついたり、カーテンを掴みながら入るという感じで…。その中でも祈ること、聖書に触るだけでもする、そして聖書を普通にたくさん読むことは難しかったので、毎日1文字だけでも読むなどをしていましたね。

―動きたくても動けない、そんな状況で神様はいないんじゃないか…とは思わなかったですか?

はい、さすがにそう思いました笑)。神様を信じたらよくなると言われたこともあったのに、状況が悪くなるならばいないんじゃないか…と。しかし、気が小さくて神様はいない!とは言い切れない自分がいて。いたら困るなあ、と。なので、神様がいるかいないかはっきりするまで、すべてを捧げて信じてみようと思って。聖書で言われる通り、説教で言われる通りに生きてみようと思ったんです。

―そうして、礼拝には直接参加できなくても説教は聞き続け、祈り続け、聖書にも触れ続けたんですね。

はい。少しでもできることをやり続けた感じです。

―完治には結果的にどれくらいかかったんでしょうか?

倒れて7年ほど経って甲状腺の病気だとやっとわかり、治療で少し回復しましたが、他にも悪いところが見つかったこと、また長い間ほぼ寝たきりの生活だったので、後遺症のような症状も出たため、完治(体が普通の状態に戻る)には14年ほどかかりました。

―なんと…、14年ですか…! 確か、私と初めてお会いしたときは、少し回復されたときでしたね。当時、私は結婚を機にMiraさんと同じ地域に住んでいましたが、3人で365日毎日一緒にお祈りしたのを覚えています。私たちが忘れかけているときも、時間が合わずに危うく祈れなさそうなときも、欠かさずMiraさんが連絡をくださいました。私たちが海外に旅行中のときも!笑)共に住んでいる地域のために祈り続けましたね。そのとき、祈りからは体の不調を感じさせなかったですが、闘っていらっしゃったかと思うと…。

支えてくださった神様と皆さんには、本当に感謝しています。完治できてよかったですし、14年に及ぶ苦痛の経験は、自分がしっかりとした信仰を持てるようになるためだったと思っています。

―14年という期間を経て、まさに信仰の人となったわけですね。最後にお聞きします。壮絶な病の経験を経て、完治され、今では3年前にご結婚されて名古屋の地に来られましたが、Miraさんにとって神様の「御心」や「愛」とは何だと思われますか?

御心は一言でいうと『愛』だと思っていますが、その『愛』というのが私はずっとわかりませんでした。何が愛なのか。自分自身には愛がないのではないかと、自信がなかったです。しかし、聖書に愛とはこれだとはっきり書いてあります。コリント人への第一の手紙13章。この通りに、自分の性格を徹底的に直すことに挑戦しました。寛容さ、情け深さ、ねたまないこと…など。また、御霊の実(ガラテヤ人への手紙5章22~23節)にも挑戦。例えば、慈愛とありますが、辞書で慈愛の意味を調べて、その通りになれるように努力していきました。そうして性格を変えていくなかで、愛ってこういうことなんだとわかるようになっていきました。聖書は行なってみてこそ、その真価がわかると実感しています。

―これからも挑戦は続きますね。

そうですね。自分を作ることにこれからも努力していきます。

―貴重なお話をありがとうございました。私も今では名古屋在住ですが、かつて一緒に祈って過ごしたMiraさんの地元に、また遊びに行きましょう~!

病に倒れていた時のお話をするときは涙ぐまれることも。
今ではすっかり元気に回復されたMiraさんからの取材陣をねぎらうお土産に、一同感激。さすが気遣いの人!
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