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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.12

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

今回は作曲、作詞、歌手をはじめ、ギター、ドラムなどの楽器演奏、演劇のシナリオも書けば、演者としても大活躍中のメンバーに、創作の原点や信仰観などをお聞きしました。

File.012 月陽さん(40代・社会人)

神様が自分に聞かせてくださる「音」、流れてくる「音楽」をただ表現したい。


―月陽さんといえば、信仰の世界を繊細に、そして情感豊かに表現された曲を数々作曲されていますが、やはり幼いころから音楽に親しまれてきた感じですか?

実は、音楽をやり始めたのは高校時代からで。今となっては音楽の人のようなイメージがありますが、父は作曲家、母はピアニストの音楽一家に生まれて…なんていうものでもなく笑)。高校時代に当時流行っていたギター弾き語りのバンドを友人と始めたのが音楽を始めたきっかけですね。

―信仰を持つきっかけも音楽つながりだったとお聞きしましたが。

そうですね。当時習っていたボイストレーナーを通じて、音楽をやっているメンバーと知り合ったのがきっかけといえると思います。

―それは驚きですね。てっきり幼いころからピアノをやって…みたいなイメージでした笑)。しかし、芸術分野で活躍されている月陽さんが音楽をきっかけに教会に通うようになったのも不思議な感じですね。では、本格的に曲作りや音楽活動も教会に通うようになってからですか?

はい。今では芸術の人として名を知られるようになりましたが笑)、もともとそういう人というわけではなく、神様がくださったものをたくさん表現しているうちに今の自分になった感じです。何ももっていない自分を育ててもらったし、活かしてもらったという思いが強いですね。

―神様がくださったものを表現するとおっしゃいましたが、どのようしたら表現できるようになるんでしょうか?

自分は頭の手前の引き出しにやるべきことを入れておくんです。意識し続けるわけですね。そうしていると、やるべきことに対して必要なものが見つかる。言うなれば、考えが先に見つけてきてくれるイメージです。あとは、ここだな!というタイミングで実際、形にする作業につなげていく。

―なるほど~! それにしても落とし込めるのはやはり才能がおありになるからだと思いますね。落とし込まれた詩や音が紡がれて、数々の曲が生み出されたんですね。

感謝ですよね。そうやって(神様に)使っていただいているのが。

―歌手として歌もとてもお上手ですし、作詞作曲もできて、豊かな才能をお持ちなのにそこに溺れることなく、神様のくださったものを表現し続けていらっしゃいますが、ご自身の信仰の基準というか信仰を強くするのに意識されている聖句などありますか?

そうですね…。自信家みたいに見られることもありますが笑)、本当にそうではないんですよ。聖句としては「なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。(中略)まず自分の目から梁を取りのけるがよい。(中略)」とマタイによる福音書7章3~5節のくだりがありますが、この聖句は常に思い起こします。主という大きな存在を知ったことで自分の存在の小ささをわかったので。

―聖書を通して、自分を省みるようになった感じですか?

はい。そうなる前はいきがっている自分がいましたよ笑)。教会に通い始めた時は、メンバーのこともよく思わないこともありましたし。だけど、何かあったときに相手のせいにするのではなく、自分のせいだと思うようになったりと自分をたくさん省みるように変わりましたよね。例えば誰かが間違ったとしても、その人を責める前に「おい、お前はどうなんだ!」と自分を省みるんです。

―なるほど。相手を責めて自分を正当化するということがなくなったということですね。謙虚になられて!

ええ。ロミさん(記者)が思っている以上に、とてつもない人格者ですよ、僕は笑)。

―笑)深刻な話をしていると思ったら、笑いを必ず交えて話されますが笑)、実に月陽さんらしいですよね笑)。

幼いころからふざけてきましたからね。昔から周りを笑わしてきたんですよ。小さい頃からずっとしゃべっていて、口から生まれたと言われるぐらい笑)。物心ついたらふざけていました笑)。

―笑)さて、話は音楽に戻します笑)。これまでの作曲活動の過程でご自身の変化はありましたか?

意外とクラシックも好きで聞くんですが、ラフマニノフという音楽家が「自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に楽譜に書きつけるだけ」という内容のことを語っているのを知って、まさにインスピレーションの世界だなと感動しました。神様が、様々な時代や状況で奏でていらっしゃる音があって、それを地上で形にできるなら、素晴らしいことだなって思ったんです。それから自分の曲の作り方が変わりました。自分の器に応じたものしか自分は作れないですが、自分に聞かせてくださる音、流れてくる音楽をただ表現したいなというスタイルに変わりました。曲を「作ろう」としていたのが、先に「聞きたい」というのを意識するようになった。最初にそのヒントがあるといい作品になることが多いと感じています。

―まずはくださる「音」に耳を傾けるんですね。まさに神様の音楽だと感じます。また作曲のみならず演劇やお笑いなどさまざまな舞台芸術にも積極的に挑戦されていますが、主の栄光教会では舞台芸術チームの代表もされていますね。

皆で作り上げる作品は、芸術の塊だと思っています。そこに関わる人みんな、演者だけではなく、スタッフも含めてみんなが神様の芸術を現わしていると。自分はシナリオも演劇もやったことがなかったですが、やってみるとできたんです。みんなそうだと思います。神様の世界で、何ももっていない自分を育ててもらって活かされてきたからやってみればできるものだと。

―やってみてこそできるというのは、まさにスマートな人だなと思います。洗練さにも通じるものがありますが、ご自身が洗練されていると言われることはどう思われますか?

自分のことは洗練されているとは全く思っておらず、むしろ未熟であるべきだと思っています。熟すと終わりだと。熟すと腐りそうで。未熟であるべきというのが僕のテーマですね。まだまだ挑戦するのびしろがあると思いたい。特技を1000個もつのを座右の銘にしてやっています。しかしダンスは体が動かないからやめておきますけど笑)。できるメンバーに任せます笑)。そして何事にも評価するだけの立場ではなく、先に自分を出して、評価される立場でいることも大事だと思っています。

―最後に、これから信仰を持とうとしている人へのメッセージをお願いします。

もう信仰を持たないという選択肢がないと思ってしまいますが、難しいことや乗り越えるべきことなどある時に、自分の視点と神様の視点の両方が必要だと思います。自分の限界を超えさせてくれる視点ですね。自分のやるべきことや行くべき道というのをもがきながら探す中で絶対的な存在を知りたいし、必要だと思います。ただ楽しく楽なだけでは自分のやるべきことや行くべき道は見いだせないから。でも絶対的な存在についてそんなに簡単にわからないのも事実。だけど、信仰の火、愛の火が1回つけば、それが消えなければその火を見て天が必ず助けてくれる。それは確かです。

―噛めば噛むほど味わい深い貴重なお話をありがとうございました!! これからも伸びしろのある、さらなるご活躍を楽しみにしています!

主の栄光教会で定期的に行っているライブでは、ギターを弾きながら歌い上げる。

常に笑いにあふれながらも、心の奥深くにしみこむたくさんの話で盛り上がった取材時間。

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