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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.16

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

「変わらないこと」。これこそが芯の強さなのだと改めて感じた今回のインタビュー。心の姿勢がキリっとしていて、一本筋が通った爽やかさを感じさせるメンバーのご紹介です。

File.016 岡田千代美さん(30代・社会人)

何かの役割を担うことに価値を見出しすぎず、
一人の信仰者として、神様への変わらない愛で生きたい。


―教会に通うようになった経緯をお聞かせください。

私は宮崎県出身で、鹿児島大学に通っていましたが、大学2年生の時に就職のことを考える中で「自分は何がやりたいのか」、「何ができるのか」などを考えるようになっていました。自分に自信をつけたくて、自分のよさを見つけたいと思い、子育て支援事業に始まり様々な業種の企業やNPO法人でインターンシップを経験しましたが、自分の悪いところばかりが見えてしまい…。

―自信をつけるどころか、逆に自信を失うことになったと?

はい、そうなんです笑)剣道をずっとやっていたこともあり、自分への評価が厳しいというか、満足したらそこで終わり、上昇できないという思考が働いてしまうこともあったかと思いますね。なので、自分のいいところを見つけたいと切実に思っていました。

―そんなタイミングで聖書に出合うことに?

はい。大学で、同じ宮崎県出身の先輩に出会ったことがきっかけで聖書を学ぶようになりました。先に言ったように、自分なりの考えが自分のよさを見つけにくくさせていることを先輩と話す中で気づけるようになりました。そこで、考えのものさしを広くするには神様の言葉を学ぶのがよいのでは?と言われ、納得しましたね。

―考えのものさしや幅を広くするには、自己啓発本などの選択肢もあるかと思いますが、聖書に納得されたと?

もちろん、実際に企業の社長さんとお話する機会もあり、自己啓発本も読んだんですよ。でも、どれもうまくいかなかったんです。自分がよくは見えなかったですね。なので、これまで触れたことのないものではありましたが、自己発見の一つの手段として学んでみようと興味がわいた感じです。

―なるほど。自己発見の一つとしての聖書との出合いだったんですね。ちなみに、岡田さんが鹿児島大学の学生として初のCGM(キリスト教福音宣教会)のメンバーとなったとお聞きしました。聖書を学ぶことになった最初の日にも大きな「徴(しるし)」があったんですよね?

先の先輩が聖書を教えてくださったんですが、私が最初に学ぶ日にお祈りをされたそうです。「神様の御心の人ならば徴(しるし)をください…!」と。その日、大学の構内で聖書を学んだのですが、大学全体を覆うような大きな虹が出たんです。虹は旧約聖書のノアに神様が見せてくださった約束の徴(しるし)ですよね。まさに神様が見せてくださったんだなと思うしかない大きな虹でした。

―聖書を教えてくださった方も、岡田さん自身も忘れられない日になったわけですね。

はい。しかも、その日聖書を学んだあとで、先輩から「歌は好き?」と聞かれ、そのまま構内のグランドに行って讃美歌を歌ってもらいました。その歌を聞いとき、不思議と心が洗われる感じがして「神様がいる…!」と実感しました。

―虹からの讃美歌。神様の粋なはからいを感じます笑)

ですよね! 実は、大学の2次試験の受験2日前に夢を見たのですが、実家の神棚が目の前にあるという内容でした。母に話したところ「神様にお祈りしなさいということじゃない?」と返ってきたので、その時は神様を知らないので、実家の神棚に向かって「大学に受かますように…」と祈って試験に臨んだんです。そうしたら…、2次試験は小論文のみだったのですが、高校の国語の先生が過去出した課題と全く同じ問題だったんです。もちろん、課題として、添削までしていた内容でしたから、試験問題は難なくクリア笑)実は、合格が比較的難しいとされていたので、この問題でなければ受かるはずがありませんでした。その経験からも、大学入学前から神様が導いてくださっているのを感じました。

―聖書を一つひとつ学ぶ中で、神様を感じて信仰を持つようになったのは自然な流れだったんですね。聖書に出合う前から神様の働きを感じていたわけですから。

ですね。信仰を持つことに違和感はなかったです。御言葉を聞き、行なう中で、神様を実感していきましたし、考えのものさしも広がりましたから。

―神様を実感したのは、神様の愛を知ったということですかね?

そうですね。神様の愛を知ったから、自分が大事な存在だとわかりました。初めて主日礼拝に参加した時も神様の大きなハート形の愛がバーンと与えられたような感覚があって、涙が止まらなかったのを覚えています。ああ、救われるとはこういうことか、地獄に行く苦痛ではなく、愛を受けて救われたんだなと思って感動しました。

―剣道を幼い頃からされていて、自分にも厳しかった岡田さんですが、神様の愛を受けて救われた実感も持たれた姿は、昔から知る家族には変化して見えていたでしょうか?

そうですね、家族からは大学生の時に丸くなったと言われましたね笑)

―愛を知った余裕ですね! さて、剣道をされていたのもお父様が警察官でいらっしゃったことからということですが、お父様も岡田さんのようにまっすぐなんですかね?やはり。

そうですね。正義感の塊みたいな人です笑)小さい頃に、父とスーパーに行ったことがありましたが「ちょっと待っててね」と言ってその場を離れてしばらく帰ってこないので「どうしたのだろう」と探しに行くと、タバコを吸っている女子高校生を注意していました。休日で勤務中ではなかったのですが笑)また、危険な運転で自転車に乗っている人を見かけたら、運転している車の窓から注意したり…。

―やはり、まっすぐなのはお父様譲りですね笑)

ルールは守るタイプですね。でも。多少融通が利かないところもあるのですが…。グレーゾーンがあまり得意ではないタイプですね笑)

―さて、大学時代に信仰を持つようになったわけですが、在学中にはほかに学生のメンバーはいなかったのですか?

はい。救われた感謝をもって自ら伝道も頑張りましたが、続けて聖書を学ぶ人を導くことはできなかったです。そのことがどうしても引っかかっていたこともあり、就職して4年半ほど経ってから人事異動のタイミングがあったので、自ら休職期間を設けて、伝道を頑張りました。その1年半ぐらいの期間で続けて聖書を学ぶ人を3名ほど導くことができました。今でも信仰をもって過ごしているメンバーたちです。自分が導かれた時には、鹿児島にはまだCGM(キリスト教福音宣教会)所属の教会はなかったのですが、鹿児島を始め九州にいるメンバーたちが伝道して徐々にメンバーが増えていったこともあり、2021年に和睦教会が立てられるようになりました。

― 一人から始まって、自分のように神様を愛する人たちが徐々に導かれていく過程を歩んでこられたんですね。まさに歴史を感じます。

はい。「歴史は微弱なときは大変だと思うけど頑張って。後には大きくなるから」と聖書を学び始めた時にある牧師さんから言われたことがあったのですが、まさにその通りだったなと思います。私は、牧師でもないですし、伝道といっても何か特別な技(笑)があるわけでもない。ただ、純粋に私が知った愛を伝えたかったんですよね。でも、現実はそう簡単には分かってもらえないことも多かったですし、一歩一歩進んできた感じです。

―神様に導かれてからこれまで、さらに伝道を頑張る過程では、教会の中でもまさにいろんな役割を担われてきたと思います。現在は、最近ご結婚されて名古屋に来られました。新しい生活となったわけですが、今後のご展望などお聞かせください。

名古屋の主の栄光教会は約300名のメンバーがいて、鹿児島の和睦教会のほぼ10倍の人数です。これまでは、人が少なければそれだけやることも多いので、何か役割を担ってこそ教会で生きている感じみたいなところがありました。しかし、牧会者の方々やさまざまなメンバーと話しながら「一人の信仰者として、神様への変わらない愛をもって生きていくこと」に尽きるなと思いました。生活自体に価値を置いて、何か特別な役割を担わずとも、自分のいる場所で愛と平和を成して神様との一対一の関係を大事にしたいと思っています。今年の初めに祈る中で「どこに行っても変わるな」という感動がありました。どこへ行っても、どのライフステージに立っても神様への愛を変わらないことを神様が願っていると感じていますので、それを全うしようと思います。

―とても男前!笑)一本筋が通った姿、素敵です。貴重なお話をありがとうございました。

6歳からやってきた剣道は3段の腕前!
「強い精神力と体力がつきますよ笑」と岡田さん。
岡田さんが聖書を初めて学んだ時にかかった大きな虹の写真。(岡田さんの先輩が大切に保存していた2012年当時の写真)
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