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インタビュー連載コラム_vol.8「SMART」な人

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。

今回は、われらが主の栄光教会の庭ともいえる?! ご近所の鶴舞公園でお話をお聞きしました。

File.008 斎藤哲郎さん(仮名・20代・自営業)

人間本来の価値や感性を磨いてくれる自然を通した、
多角的な教育に携わっていきたい。


―お父様が教員をされていて、ご自身も大学卒業後、教員の道に進まれましたね。

はい。父が教員をしている中学校で生徒として通っていました。しかもサッカー部の顧問で部活も一緒という…。自分としては、(教員というものが)嫌になるかな?と思ったんですが、逆に父の働く姿を見て、教員を目指すようになりました。

―ご家庭と学校と、お父様の姿に違いはなかったということですか?

そうなんです。生徒たちの評判もよく、教員というのは裏表のない仕事なのだなと思いました。つまり人柄で勝負できる仕事だと。

―そうして教員を目指される中で、聖書に出合うようになったんですね。

はい。人に教える仕事となると、物事を判断する基準がしっかりしていないといけないと思ったのですが、基準の説明がうまくできないことに気づきました。また、小・中・高とサッカーをやっていて、部活動の顧問になるべくトレーナーにもなりたくて、大学ではボート部に所属していました。そんな中、大学の知り合いを通して、違う大学のボート部出身の先輩が、聖書で自分の軸を作ることができるようになったという話を聞いたことがきっかけですね。

―実際に聖書を学ぶようになってご自身が変化したところはどんなところですか?

教員をしながら、生徒と接し、また社会を見回してみても、愛情の問題が根本にあるのだなとより実感するようになりました。生徒との面談でも聖書を元に話していると、後々生徒に印象に残ったと言われることが多かったんです。つまり、聖書を通して学んだ愛が自分の身となっているのを実感しました。自分の価値を認識したからこそ、自分自身のことも発信できるようになっていたわけです。自分が聖書に接するようになって、人の気持ちや愛情というものにより目が向くようになり、自分自身の感情表現も豊かになりましたね。

―斎藤さんは理学部を卒業されて化学の教員をされていましたが、お話を聞いていると、授業の時間よりはそれ以外の時間を通して生徒と接する教育に魅力を持たれたように思います。

まさにそうですね。もちろん教員である以上、授業も大切だと思いますが、自分としては、学校の行事や部活動といった、授業以外で生徒と触れ合う時間に魅力を感じました。そうした時間の中で、何か生徒にとってよいものを残していきたいという思いが強くなったんです。そこで、教員3年目にコロナ禍で担任を受け持ちましたが、学校の方針がより授業に重きを置くようになっていったのを機に、転職を決意しました。

―大胆ですね! 地元の福井県に戻られるとお聞きしました。今後はどのようなお仕事を?

昨年に聞いた主日の説教の中に「先祖を通して働きかけられる神様」というのがありました。そこで、自分のルーツを辿ったときに、父は教員ですが、祖父と曽祖父が林業に携わっていまして、自分は福井県の自然を通してたくさん感性が磨かれてきたなと思いだされました。子どもの頃、周りはある意味自然しかないので笑)、山や川で遊ぶのが当たり前だったな、と。そこで、子どもも学校を卒業した大人も、広い自然を通してもっと学ぶことや磨かれることがあるのでは…、と思い立ち、自然体験型の多角的な学習プログラムを提供する事業を立ち上げることにしました。

―つまり、形は違えど「教員」は続けていくということですね。

そうですね。教師という存在はとても大切な存在だと思います。人生において、学校以外にも習い事や部活などさまざまなシーンで学ぶ機会があると思います。自分はこれからも主には子どもたちの人生の1シーンに「教員」として触れ合っていきたいなと思っています。教会のメンバーたちにとっても福井の自然で癒される機会をつくることができたらと思っていますので、たくさん遊びに来てください笑)!

―体験型の学習というと、スポーツや演劇のワークショップなどもありますが「自然体験」にこだわったのは?

実際に塾主催の体験型学習プログラムのインターンやNPO団体主催のイベントなどにも行って、さまざまな体験型の学習プログラムにも参加してみましたが、自分としては、人間本来の価値や感性は自然を通してより磨かれる実感があるからです。自分が神様という存在を感じたのも地元の自然を通してだったのもありますね。

―最後に、若くして信仰を持った斎藤さんから若い世代の方々へのエールなどありましたらお願いします。

教育の現場でも、人と接する中で言葉の力というものを感じました。ポジティブな発言がその通りになるのを目の当たりにしてきました。まさにヨハネによる福音書1章1節(「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」口語訳より)ですね。愛情や自己肯定感などは無条件、神様からもらえるなと思います。また、自分は、信仰は弱い人が持つものだと思っていましたが、強くなければもてないものだと思えたことも大きかったです。だから、偏見をもたずにまずは聖書にも接してみてほしい。いじめや戦争など、世の中のさまざまな問題の解決は、結局のところ愛なんだな、と思った時に、自分に起こるさまざまないいこと、よくないと思えることも神様が気づかせてくださって、ああ、こういうことだったのかとつながる経験ができると思います。

―早速、このホームページ編集部でも福井の自然に遊びに行かせていただきますね!さらなるご活躍を期待しています!!

小・中・高と続けてきたサッカー。ポジションはずっとゴールキーパーだ。教会に通うようになって行なったサッカーは、それまでの勝ちありきのものとは違い、人生を生きる要素が詰まった、得られるものがあるという。
とある林業家の方にアポを取って山を案内していただいたときの森林の様子。山への想いや森の保全の取り組みを聞き、刺激を受けた。
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