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主の栄光教会インタビュー連載コラム_Vol.42

主の栄光教会ってどんな教会なんだろう?その答えは、教会に通う一人ひとりにあると考えます。教会を作っているのは、教会に通う一人ひとり。だからメンバーを知れば、その姿が浮かび上がってくるはずだと、連載コラムがスタートしました。教会の掲げるミッションとしてのSMART(Social・Motivative・ART)。そんなスマートな人たちの魅力に迫ります。


ボクシングのリングで培った、真正面から向き合う姿勢。神様を求める歩みの中でも変わることはなかった、人生の先輩の登場です。

File.042 Yasuhiroさん(会社員・60代)

まるで肩の荷がふっと下りたような
初めて頼れる存在に出会った感覚でした。


―娘さんが先に教会に通われていたと伺いました。娘さんが教会に通っていると知った時は率直にどう思われましたか?

あの時は本当に、必死に育てた娘が奪われてしまったような気がして、言葉にならなかったですね。わからないなりに子育てをしてきて「やっと大学まで入学させた」と思った矢先のことでしたから。「教会」という存在がいきなり横から現れて、親の知らないところで娘を連れ去ってしまったような感覚というか…。たぶん、どの親も同じようなことを思うのではないでしょうか。私はもともと宗教に対する良くないイメージを持っていたので、娘が教会に通うことに当時、大反対でした。

―確かに、いきなり教会に通うとなったように感じると、反対する親御さんもいらっしゃるとは思います。

娘のことを聞いた時は居ても立っても居られなくなって、当時、娘が通っていた教会の人に電話をしました。感情的になってしまってあまり覚えていませんが、結構キツいことを言ったと思います。しかし、印象的だったのは、その時に対応してくれた人がとても丁寧だったことでした。コソコソするような感じは全くなかったし、「娘さんは悪くありません」と娘をかばうように話してくれて、やさしさを感じたことを覚えています。その人とは後日、私が聖書を学んだ後に再度お会いしましたが、少し気まずさを感じつつも(笑)、お互い笑顔で当時を振り返って、今となってはいい思い出となりました。

―忘れられない、天とのエピソードですね。ところで、娘さんが教会に通われることに反対していたYasuhiroさんが、聖書を学ぼうと思ったきっかけはなんだったんですか?

最初は妻について行っただけです。妻は娘が教会に通うことに反対するというよりは、「娘が学んでいる聖書の話がどんなものか知りたい」と言っていたので、娘が当時住んでいた京都まで行ってみることにしたのです。名古屋から車で2時間ほどの距離を運転して、ただ私は運転手をするぐらいのつもりでした。そこで親子揃って、教会の担当牧師から聖書の話を聞きました。いざ聞いてみると、「変なことを言っているわけではないな」と感じました。聖書を学んだ後、せっかく京都まで来たのだからと、街を観光していると、その日に学んだ聖書の話に出てきた「狭い門からはいれ。」(※)という聖句を偶然見かけて、少し「神様」という存在を意識したのを覚えています。今思うと、神様が私に伝えたかった御言葉だったのかもしれません。

※狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。「マタイによる福音書7章13節」

―確かに、Yasuhiroさんの人生は、まさに「狭き門」を通られてきたように感じます(笑)。学生時代は、ボクシングで国体に出場されたのだとか。

子供の時からプロレスが好きだったので、何か格闘技をやってみたくて、大学のボクシング部に入部しました。しかし、全くセンスが無くて、先輩からは「ハエがとまるようなパンチだな」と当時言われました(笑)。1年生で一緒に入部したのは16人いたのですが、その中で一番弱かったです。だけど、私は一人でサンドバッグをただただ打ち続けました。普段の食事も気をつかいましたし、試合が近づくと減量せねばならないので、体重を維持するために水分補給として氷をなめていました。一度にたくさんの水を飲むと体が余分に水分を吸って重くなってしまうんです。そんな生活を続けて三年生になって、ある日スパーリングをしていると、何かに引っ張られるように体が突然動き始めたんです。パンチは鋭く、ステップは速く、まるで自分の体じゃないみたいでしたね。そこからみるみる上達して、四年生の時に県代表になって国体に出場しました。

―神様がYasuhiroさんの姿勢をご覧になって、共にしてくだったのを感じます。そんなストイックなYasuhiroさんが聖書の話を「とりあえず聞いてみよう」という段階から、実際に教会に通ってみようと心境が変化したのは、なぜだったのですか?

娘から聖書を学んでほしいと言われ、続けて学んでいましたが、「明日のことを思いわずらうな。」(※1)だったり、「わたしのところに来なさい。わたしの重荷は軽い。」(※2)といった聖句の一つひとつが胸にささりました。それまでの私は弱音を吐くのが嫌で、誰にも相談しない人生を生きていたのですが、聖書の話を聞くたびに肩の荷がふっと下りた気がしました。また、御言葉を教えてくれたCGM(キリスト教福音宣教会)の鄭明析牧師の人生の話を聞いたとき、そしてその笑顔を見たとき、この人は模範にすべき人だと思ったのです。初めて頼れる存在に出会った感覚でした。それまで聖書は、ホテルの机の引き出しに入っているのを見かける程度で、なんだか難しいことが書いてあるな、というくらいの認識でしたが、聖書を通して見えない神様を実感できた話は、間違いなく自分の人生観を変えてくれました。だから本当に感謝していますし、また、あの時親から誤解されたりするのを恐れずに教会に通い始めたことを打ち明けてくれた娘にも感謝しています。私たち親から反対されるリスクを考えると、言わない方が気持ち的には楽だったかもしれません。が、まさに娘も「狭き門」を通ってくれたように思います。娘は一人暮らしを始めようとしていたので、打ち明けなければ家族は誰もわからなかったはずですが、私たちにも聖書を学んでほしいという思いがあって打ち明けてくれたのは、大きなことだったと思います。

※1
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
「マタイによる福音書6章34節」

※2
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
「マタイによる福音書11章28-30節」

―アーメン。では最後となりますが、今後、天の前でどういう人でありたいか、イメージされているものはありますか?

やはり、神様が私たち人間を創造されたその目的通りに生きたいですね。聖書の創世記の、神様が人間を創造されて「はなはだ良かった」とおっしゃっている箇所が私はとても好きで。そのような思いで創造された私たちですから、やはり神様が願う通りに生きたいなと。最近はお酒も飲みませんし、昔のように喫茶店で週刊誌を読みながら暇をつぶすこともありませんが、神様が創造された自然と触れ合うことに楽しみを感じています。畑作業をしていると、ツバメが飛んできたりするのですが、ツバメに向かって「どこに巣をつくるんだ?」と聞くと、急に弧を描いて飛び始めるので、まるで「ここにつくります」と返事をもらった気持ちになるんですよ!ハチに出くわしても、「君に危害は加えないから、君も何もするな」と話しかけると、攻撃してこなかったりするんです(笑)。話し合う間もなく急に出くわしてしまった時は、刺されたりするんですけどね(笑)。とにかく、そのように神様がくださった環境の中で、喜びで生きていきたいな、と思います。

―貴重なお話をありがとうございました!深みのある人生を歩んでこられたその目で、これからも教会を見守ってください!

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